映画についてのひとりごと 88

私は、ドラマでは、録画した『嫌われる勇気』を見ています。
キャスティングも脚本も全部ダメですが
本の『嫌われる勇気』は素晴らしくて周りの人にも勧めていたので
全部録画して見ようとは思っています。

アドラー心理学をもっと詳しくストーリーに織り込んでほしいのですが
なんと殺人事件サスペンスの刑事ドラマにしてしまって
何がやりたいかよくわからないドラマになっています。
しかし、ときどき解説が入るアドラー心理学の言葉が聞きたくて見ています。

いまのところ、すべてが空回りしていて、
たとえば『明確に否定します』を決め台詞としたいようですが
『私、失敗しないので』のようなハマリ感がありません。
また、主演もそうですが、脇役も演技のうまい人が一人もいないので
なんともとりとめのないドラマにはなっています。

心理学の教授を主人公にして、様々な日常生活の人間トラブルを解決するというような筋書きにした方がよかったとは思いますが。

 

 

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そうです。
本の『嫌われる勇気』はベストセラーになりましたね。
アドラー心理学は画期的で、目から鱗でした。
アドラーは天才中の天才ですね。
あの本が、なぜか、殺人サスペンス仕立ての刑事ドラマになってしまいました。
失敗でしょうね。

ただ、アドラーの目的論だとか、少し解説があるので、そのために見ています。

 

 

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自由を勝取る決意したおとうしゃん
こんばんは。

アドラー心理学では、目的論が肝だと思うのですが
確かに、例えば、いじめにあって引きこもっている人は
いじめが原因ではなくて、引きこもっていたいと決意して
その原因や理由を過去の経験の中から拾ってくる、のは本当だと思います。
現状に不満があっても変わらない人は、変わらないことを決意しているんだ、という説は
意志至上主義にも合致します。
ただ、『嫌われる勇気』の本にもあり、ドラマにも出てきましたが
『怒鳴る』という行為は、相手が失礼なことを言ったから怒りがこみ上げて怒鳴ってしまうということではなく、相手を支配したいと決意して、その目的を達成するために怒りという感情を創り出している、というアドラーの説は、本当にその通りなのか、
この1点だけはこれから日常生活で検証していきたいです。

変わろうとしない人、真剣に挑戦しない人は
『やればできるんだけど、全力でやっていないだけだ』という、可能性のぬるま湯の中で生きている、つまり全力でやって失敗したときの痛みが怖くて自分の可能性を残しておきたい、という説はその通りで舌を巻くしかない鋭さですね。

 

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『嫌われる勇気』にこのような会話があります。

青年:昨日の 午後、喫茶店で本を読んでいたとき、通りかかったウェイターが私の上着にコ―ヒーをこぼしてしまいました。
買ったばかりの 、いわゆる一張羅です。
カッとなったわたしは大声で怒鳴りつけました。
普段のわたしは、公の場で大声を出すことなどありません。
しかし、昨日ばかりは店中に響きわたるくらいの大声で怒鳴り散らしてしまった。
怒りに駆られ、我を忘れてしまったわけです。さあどうです、ここに も「目的」とやらが入り込む余地はありますか?

哲人:簡単です。あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。
ひとえに「大声を出すために 、怒った 」のです。
つまり、大声を出すという目的をかなえるために、怒りの感情をつくりあげたのです。


さて、どうでしょうか。
アドラー心理学は非常に鋭いのですが、ここの1点だけは納得できないところです。
怒りの感情は、目の前の相手にだけではなく、本でもテレビでもネット記事でも読んでいるときにも生じるものですし、ここはもう少し検証が必要な気がします。

 

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owlさん
おはようございます。

映画『沈黙ーサイレンス』はディスクが出たら是非買いたい作品です。
この監督と原作の組み合わせはやはり期待させます。

トランプの演説が心に響かないのは、この人の意識に高邁な理想がなく品性がないからでしょう。
これからも成長はしないと思います。
ただ、オバマ国連事務総長のパンの時代に世界秩序が崩壊し無法者が跋扈してきて
収拾がつかない状況下では、トランプのような猛毒でしか対処できないでしょう。
この世界の状況を収拾してくれたら、今度は意識レベルの高い人が指導者になってほしいものです。
トランプはすべてにおいて知識不足なので、今後とんでもない判断をするかもしれずひやひやものです。
しかし、前からヒラリーよりはましだと言ってきましたが、今でも、ヒラリーよりはましだったと思います。

 

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kfmさん
おはようございます。

確かに、映画にしても本にしても、駄作が圧倒的に多いです。
ある程度厳選して映画のディスクも買っていますが、それでも
持っているディスクの9割以上は駄作で、何度も繰り返して観るに値する作品は数えるほどです。
映画も観た本数を自慢する人がいますが、どんなに膨大な数を観ようと何の意味もありません。
その中に、ほんとに自分の人生や生き方を変えるほどの作品があったかどうか、ですね。

何百回も繰り返し見たり読んだり聴いた、映画、本、音楽があるかどうか、
無人島で死ぬまで生活するとして、1枚のDVD、1枚のCD、1冊の本だけ持っていけるとして、そういう究極の1冊に出会っているかどうか(無人島でもDVD・CDが再生できるとして 笑)ですね。
それがない人は、どんなにお金を儲けたとしても、精神生活を送ってこなかった人で尊敬に値しないです。
観た映画の数を誇っても何の意味もないですし、読んだ本の数も意味ないです。
自分にとっての本物に出会ったかどうか、ですね。

 

 

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owlさん
こんばんは。

私の見るところ、ユングは天才ですが、アドラーも天才です。
アドラーの凄いところは、人間の精神を過去やトラウマから解き放ったところです。
過去のトラウマが現在の行動の原因ではなく、無数の過去の経験から自分が理由付けに選択しているに過ぎないことを見破ったことです。
『意志至上主義』にも合致します。

般若心経の『色即是空 空即是色』は大変に難しい言葉です。
過去の仏教者も、この言葉にはわかったようなわからないような曖昧なことでごまかしています。
『すべての現象には実体がない 実体がないことがそのまま現象だ』などと日本語としてもおかしい解説をよく見ます。
過去、この言葉で虚無主義になった人も多いでしょう。
仏教の解釈自体、仏陀から遠く離れていきました。
この言葉を本当に理解できたのは空海だけかなとも思います。
ですから空海は、般若心経を非常に重要視しました。
空海』という名前自体が凄いです。
ときどき、空海を空(そら)と海(うみ)と解釈している人がいますが
これは空(くう)の海(うみ)です。
この名前だけで真理を表していると思います。
『空』とは、光り輝く無限の空間です。
『空』の海が無限に広がっている、この空間を把握できるかどうか、ですね。
色受想行識はすべてその空の海に浮かんだ波にしか過ぎないし
道元の言う『空華』でしょう。
長くなりそうなのでまた。

 

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リッチポンタさん
こんにちは。

そうですね。困ったことに、空海は洞窟から空(そら)と海(うみ)しか見えなかったので
空海と名付けたという言い伝えになっています。
そんな名前の付け方をするのであれば大した坊さんではありません。
地球上の空(そら)も海(うみ)もただの四大の仮合である現象にしか過ぎず
宇宙=大日如来からすれば、一つの泡でしかありません。
まともな仏教者が空という字を名前に使う場合、これは空(くう)しかありません。

例えば、大河ドラマ天地人』で直江兼続が『愛』の兜をかぶっていました。
これは仁愛の愛で、人を愛するという理想を表したなどという解釈がなされています。
ところが、『愛』という字は仏教ではとても否定的な言葉です。
渇愛=タンハーというのが迷いの大本とされていて、滅すべきものです。
あの時代、『愛』という字を肯定的に使うことはありません。
この愛は、『愛染明王』か『愛宕大権現』という神仏の名前の一字を取ったのであって
愛するという意味で使ってはいません。

思想のバックボーンを考えないと、このように言い伝えや俗説はとんでもない間違いになります。

私の解釈では、おっしゃるように、空=光り輝く無限の空間の海=大宇宙=大日如来
です。

『色即是空』も含め、この週末でも少し私の我流の解釈でよければしてみます。

 

 

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般若心経には大きな矛盾があり、この矛盾に気づかないと本当の意味はわかりません。
その矛盾というのは、
前半で、すべての存在は実体がない(空)と徹底的に論じながら
急に『般若波羅蜜多とは咒なのだ』ということです。
空(くう)の中には、物質もなければ感覚もなく感覚の対象も迷いも悟りもなく
迷いが尽きることも悟りや知恵を得ることもない、とないないづくしなのに
般若波羅蜜多(悟りの真実)とは咒という言葉なのだ、と一転させます。
空の中には、迷いも悟りも物質も感覚もないなら言葉があるわけもなく
大いなる矛盾ですね。

『色即是空 空即是色』に代表される般若心経を、すべてのものには実体がない、というだけで解釈する人があまりにも多く、それは人を虚無主義にしてしまいます。
表面的に『すべてのものには実体がない』というのは簡単ですが
そのように簡単に解説する人も、殴られれば痛いでしょうし、実体がないはずの財産が奪われそうになったら必死に抵抗するでしょう。

空海だけは、『是故空中』の『空』を実体的、本質的に解釈していたような気がします。

 

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まりさん
おはようございます。

空、つまり実体がないとはどういうことでしょうか。有でもなく無でもない、空。
空は特に後世の大乗仏教で最重要視されるようになる観念です。
最古層の仏典『スッタニパータ』にも出てきますが、特に大乗の般若経では主要テーマとなります。

海と波の喩えでいうと、無限の大海に風が起こって無数の波が立ちます。
その波は、有るともいえず無いともいえません。
風のために一時的に形を現わしているだけで、波という固有の実体があるわけではなく
しかし形が現れているから全く無いとはいえない、
つまり有でもなく無でもないものです。

私はここ十何年で初めて、インフルエンザの予防接種をしていません。
あと1ヶ月2ヶ月、インフルエンザにかからないように気をつけなくてはと思っています。

 

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owlさん
おはようございます。

『ハドソン河の奇跡』は是非観たい作品です。
クリント・イーストウッド監督は駄作がない、稀有な監督ですね。

咒とは、真言とか陀羅尼とかマントラともいいますが
ある特別な言葉ですね。
般若心経なら『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』
『Gate Gate Paragate Parasamgate Bodhi Svaha』ですね。

広大な空の中に私がいるのか、私の中に空があるのか、と考えるのは大切です。
究極には、ただ広大な光り輝く空間があるだけで、その中に色彩が様々に現れていて
その交差した一点を『私』という中心と思い込んでいるだけでしょうけど。
荘子のいう広漠の野、無何有の郷、つまり広大な空間に思いをはせるのは気持ちのいいことですね。

 

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kizunaさん
おはようございます。

ブロッコリー、特にブロッコリースプラウトは身体にいいですよ。
野菜が不足したときには、ブロッコリースプラウトだけは急いで食べます。
以前はサプリメント大好きで何種類も飲んでいましたが
今は全部やめています。
サプリメントはあまり効果がないような気がしています。
サプリメントの代わりに、3日に1回くらい生のブロッコリースプラウト
食べる方をお勧めします。

食事法は、いまだに、朝食抜き、昼食は400gのヨーグルトを純ココア、黒ゴマ、黒豆きな粉、はちみつにバナナで食べています。
これで朝昼は塩分を取らなくて済むので、1日の塩分摂取量が3分の1になる計算です。
朝食は食べたほうがいいとはよく聞きますし、私も朝食をたっぷり食べていたときもありました。
しかし、とりあえず、今のところはこれで体調もいいので、続けていきます。
朝食を取らないと午前中に脳に糖分が補給できず頭が働かないという忠告はよくされますので
朝に、甘酒かリンゴジュースかはちみつ飴を取ることも考えていますが。

とにかく、健康が第一ですね。
今日もいい日でありますように。

 

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kizunaさん
おはようございます。

甘酒は冬の飲み物のイメージがありますが
実は夏の季語でもあるくらいです。
冷えた甘酒は夏には最高に美味しいです。
もちろん、温かい甘酒を冬に飲むのも最高です。
雪の日なんかに、自動販売機で温かい飲み物を選ぶとき
甘酒、ココア、コーンスープのどれにするか、迷います。

私のような車通勤の人は、車の中に甘酒の缶を入れておいて
飲みながら運転するスタイルが簡単でいいかもしれません。

 

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