『ショーシャンクの空に』の『I hope』

<<以前”hope”が日本語の“希望”とは少し違う、と話していらしたと記憶していて、それを考えてきました。>>

 

 

前に私の別のブログ

https://shawshank-blog.hatenadiary.jp/

で、映画『ショーシャンクの空に』の奥の意味として書いたことですね。

 

このように書いています⇓

 

※※※※※

 

Ihope Ican make it across the border.

Ihope  to see my friend and shake his hand.

Ihope the Pacific is as blue as it has been in my dreams.

Ihope.

 

最後の『語り』です。

原作の最後もこの語りです。

ここはどうしても英語のまま理解しなくてはいけない箇所です。

日本語では

国境を越えられるといいが。

親友に会って握手できるといいが。

太平洋が夢で見たように青いといいが。

俺の希望だ。

としか訳せません。

 

Ihope の本質的な意味、根源的な意味が台無しになってしまいます。

日本語訳では、という主体がすっかり抜けてしまっています。

hope という能動的な動詞もなくなっています。名詞になってしまっています。

 

映画『ショーシャンクの空に』の奥の奥にある究極のメッセージは

I hope です。

この作品に秘められた I hope  の根源的な意味を理解できればアンディのように、どん底の環境を一変させることができるでしょう。

 

とは free manであるところの  です。

とは We were the Ⅼords of all Creationであるところの  です。

とは I am  that Iam    の  です。

 

真の主体、無量心、無量の精神そのもの、創造の主体です。ありてあるものです。

 

hope とは、確信に満ちた想いです。確信に満ちた想いで現象を創造することです。環境を創造する働きです。『光あれ』と発することです。

本源である  が  hope  したとき、創造が起きるのです。

 

レッドが確信をもって I hope  と 発したとき

光り輝く大海と親友という環境が現れました。

 

これが映画『ショーシャンクの空に』の究極のメッセージです

 

※※※※※

 

つまり

Ihope.

を日本語に訳すと、主語がなくなってしまいます。

直訳して無理矢理主語を付けようとすると

『俺が希望する』『私が希望する』と何ともおかしな日本語になってしまって小説も映画も台無しになってしまうでしょう。

やはり、ここは英語で理解するべき箇所ですね。

 

I は、創造の主体であり

hope は、未来に対する確信に満ちた想いで創造することです。

目の前の現象を見て挫けそうになる時も勇気をふりしぼることです。

セヴァンさんが言われるように、『猛々しい』までにならなければいけないのかもしれませんね。