いちじくの木の呪いについて

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ショーシャンクさん こんばんは  merry Christmas 今日はクリスマス イエスキリストについて知らないことばかりです。 イチジクの木は聖なる木なんでしょうか? アダムとイヴでもイチジクの葉が出てきます。 イチジクの木の呪い・・イエスが実を食べる事がないようにイチジクの木が枯れしてしまう。 私も考えてみました。 何か念ずるとそれが念ずるようになってしまうということかな~~ きっとショーシャンクさんのお考えと違いますよね! どうしてクリスマスツリーを飾るようになったのでしょう? サンタクロースはどこから? クリスマスソングを聴くとどうしてワクワクする? なんて初歩的な疑問にぶつかってきました。 クリスマスはイエスの生誕の日だけの知識しかありませんでした。 子供の時はサンタクロースがプレゼントを持ってくると信じてましたから。 メルヘンティックで今はクリスマスのイルミネーションがあちこち イエスキリストについて考える事全く皆無でした。 クリスマスソング イエスキリストについて ご教授ありがとうございます。 皆様に幸せの星が降り注ぎますように!!
 
 
まりさん、おはようございます。
クリスマスツリーを飾る風習自体は数百年前ドイツで、それがドイツ以外に広まったのは百何十年か前からで新しい習慣だと思います。常緑樹のもみの木が三角形に見えるのがいいらしいです。
 
イチジクの実は、砂漠が多いイスラエルの地では昔から大切にされ親しまれていたのではないかと思います。水分とともに、今のように甘いものにあふれていない時代には甘い実は貴重なものだったでしょう。
 
聖書に対する昔からの疑問の中で唯一解けていないのが、イチジクの木の呪いの話です。
 
キリスト教者のブログで、この話は、いちじくの木をイスラエルの民の象徴だと解釈しているものがありました。次のようなものです。
 

「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。」

イスラエルでは、いちじくの木は、よく見かける木です。いちじくは、3月に緑の実を付け始めます。これも食用になり、農夫がよく食べたそうです。4月になると、葉を茂らせます。過越の祭りは3〜4月ですから、きょうの箇所はこの時期にあたります。そして、5月末〜6月に、緑の実は熟します。これが夏いちじくです。その年の新しい枝に付いた実が熟すのはそのあと、これが秋いちじくです。収穫の終わりは8月末です。春先に緑の実が付かない年は、いちじくは不作です。

■いちじく=約束の地の代表的な産物のひとつ

申命記8:8「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地」

いちじくの木に実はなかった

このいちじくの木は、遠くから見ても目立つほど、葉を茂らせていました。いちじくが熟する季節ではないので、熟した実がないのは当然です。イエスが期待したのは、農夫たちが食用にする緑の実でした。しかし、この木にはそれすらなかったのです。

このいちじくの木は、この時代のイスラエルの民の象徴です。外面は繁栄していますが、内面は実を付けていません。そして、特に当時の指導者たちの特徴は、宗教的偽善です。このあとに続いて起こる出来事、イエスによる神殿の清めは、宗教的偽善に対する神の怒りを示す出来事です。

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しかし、この説明ではどうも釈然としません。

聖書ではこうあります。

 

翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
 
翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。

                     マルコによる福音書/ 11章 12節~

 

 

このいちじくの木は、実のなる季節ではなかったから実をつけていませんでした。

だけど、木に向かって『今後おまえから実を食べる者がないように』と言うと、その木は枯れてしまった、ということです。

そして、この出来事を解説して、イエスは言います。

だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる』と。

 

もし、このいちじくの木をイスラエルの民の象徴として、これから実がならずに枯れることを喩えたのだとしたら、『だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる』と言う言葉をその解説とはしないはずです。

 

山に向かって海に飛び込めと言ったらそうなるのであれば、いちじくの木に対しても、実がなるように言ったらすぐ実がなるはずです。5000人分以上のパンや魚を一瞬で現出させた人なのですから。

なぜ、いちじくの木を枯らさなければならなかったのか、この一点だけはどうしてもわかりません。