和歌など

マグノリア (219.62.234.179)  

ショーシャンクさん、みなさん、 こんばんは。 和歌に秀でた小野小町が、勅命にこたえ和歌を詠むことで雨を降らせたという伝説。 言霊についてのお話、興味深いです。 ちょっと思ったことですが、清少納言は「枕草子」で、ひたすら中宮定子の宮中サロンがいかに輝かしく美しかったことのみを綴り、彼女が心酔しきっていた定子が政治的敗者であり、藤原道長にいじめ殺された悲劇についての、恨みつらみについて一切書き記さなかった。 それも、お腹の中に渦巻く憤怒や悲哀といった感情を抑えることで「枕草子」を残す、中宮定子の記憶を後の世に残したいという一心で、言霊を信じていたように思えてきます。 先日、川越宗一さんの小説『熱源』を読みました。 アイヌ民族という名称だけは知っていましたが、それ以外のことは何も知らないかったこと、サハリン樺太という北方領土についても、その地に生きてきた人々にもまるで無知だったこと。 と同時に、この小説によって、今現在コロナによって世界中で露わになってきた諸々のこと~民族、人種、差別、文明・文化、宗教、歴史、人間・命の尊厳・・・といった存在の根源が眼前に立ち上がってきました。 自分はたまたま人間に生まれ、日本人という世界からみても恵まれた境遇で生きてきました。それでも、生き辛いと感じながら。 現代とは比べものにならないほどの理不尽のなかで生きていた人々の「熱」が、自分にも存在するのだろうか、微小であっても残っていてほしいと、今は思っています。

 

 

マグノリアさん、こんばんは。

小野小町、その生涯も謎めいていますね。

小野小町が干ばつの時に勅命で雨乞いをしたときの和歌は

ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天が下とは

ちはやぶる 神も見まさば 立ち騒ぎ 天の戸川の 樋口開けたまへ

の2つとされているようです。

しかし、『ことわりや』の歌はただの語呂合わせや言葉遊びのようでどこにその力があるのかがわからないのですが、『ちはやぶる』の歌は、観も壮大で強い言霊を感じます。

 

和泉式部の歌、「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに」をヒストリアで解説していましたが、この歌の発想は画期的であり、それまでにそのような歌を詠んだ人はいなかったとのことでした。

その発想の壮大さが、『ちはやぶる』の歌と共通しており、ひょっとすると、『ちはやぶる』の歌は和泉式部の作ではないかと思ったりしました。

 

 

清少納言は中宮定子をとても尊敬し、その定子に気に入られていた自分を『枕草子』で誇らしげに語っていますね。定子の全盛時代は非常に短かったのでしょうけど、清少納言にはその時期の記憶が光り輝いていて、その輝きを残したかったのでしょう。

そう思うと、自慢話に満ちているような印象の枕草子も人間の哀しみを感じます。

 

『熱源』については全く知りませんでした。直木賞受賞作のようですね。

私も、アイヌの問題に関して全く無知です。

これを機に、少し学んでいきたいと思います。

ご紹介ありがとうございました。