映画『グリーンブック』

 

『いい映画』というものがめっきり少なくなったと感じていましたが、映画『グリーンブック』は久しぶりに文句なく『いい映画』でした。

『グリーンブック』という題名からも、黒人差別がテーマのように思えますが、この作品の本質はそうではないと感じます。

この映画について、書かれていた記事があるので転載しますが、その中では映画『ドライビング・ミス・デイジー』が出ています。

確かに、『ドライビング・ミス・デイジー』も名作ですし、雇い主と運転手(白人と黒人がこの二作では反対ですが)の関係や最初のギスギスモードから心が通い合う構図は同じですので、対比する気持ちも分かります。

下に転載した批評記事では、白人でもなく黒人の立場でもない『孤独』をテーマと考えているようです。確かにそれもあります。

しかし、『グリーンブック』には、私の大好きなイタリア映画『イル・ポスティーノ』を思い出させるものがあります。

トニーの奥さんの台詞をラストシーンに選んだのは、『手紙』もこの映画の非常に重要なものだからです。

また、品位の大切さを教えるドクターシャーリはトニーにとって、『ショーシャンクの空に』のレッドにとってのアンディのようなものに思えました。

 

本当に様々なことを考えさせられる飛び抜けて『いい映画』でした。

ラストもすばらしく、こういうラストは本当にいいですね。

 

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『グリーンブック』は“人種差別”だけを描いた映画だったのか? その先にあったテーマを考える

 雨の道を走る車の中で、中年男2人の口論が始まった。その果てに、ハンドルを握るトニーに「(あんたと違って)俺は自分が誰か分かってる」と言われた後部座席に座るドクター・シャーリーは、トニーに車を止めるよう指示し、降りしきる雨にもかかわらず、黙って車を降り立つのだった。そして、そんな彼のあとを慌てて追ってきたトニーに向かって、こう言い放つのだ。「黒人でも白人でもなく、人間でもない私は何なんだ?」と。

 昨年のトロント国際映画祭で“観客賞”を受賞したことでにわかに注目を集め、その翌年(つまり今年)2月に行われたアカデミー賞では、“作品賞”をはじめ、“助演男優賞(マハーシャラ・アリ)”、“脚本賞”の三冠に輝くなど、一大センセーションを巻き起こした映画『グリーンブック』。ここ日本でも、アカデミー賞発表後の3月に劇場公開され大ヒットを記録したこの映画は、果たして本当に“人種差別”をテーマとした映画だったのだろうか。むしろ、そのテーマは、“人種差別”を入り口とした、その先にこそあったのではないのか。

 劇場公開から約半年が経った今、本作のDVD/Blu-rayがリリースされるこのタイミングで、改めてこの映画が内包する“テーマ”──“モチーフ”ではなく“テーマ”について、考えてみたいと思う。もちろん、“人種差別”は、この映画の前提として、あるいは時代背景として、不可欠な要素である。しかし、その構図にとらわれ過ぎると、本作が描き出す本当の“テーマ”が見えづらくなってしまうのではないか。そんな気がしてならないのだ。

 恐らくその背景には、アカデミー賞の授賞式のあと、本作を『ドライビング・ミス・デイジー』になぞらえ、その受賞に率直な違和を表明した黒人映画監督、スパイク・リーの影響も少なからずあるのだろう。無論、この映画は、“人種差別”をモチーフとした映画ではある。そもそも、タイトルからして“グリーンブック”なのだから。劇中にも何度か登場する“グリーンブック”とは、1936年から1966年までのあいだ毎年出版されていた、黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックのことを指す。

 映画の舞台となるのは、1962年のアメリカ。リンカーン大統領による“奴隷解放宣言”がなされてから約100年の歳月が流れてもなお、アメリカ南部の多くの州では“ジム・クロウ法”と呼ばれる、黒人が一般公共施設を利用することを禁止制限した法律が存在し、依然として実質的な人種差別が行われていた。公然と黒人の利用を拒否する南部の宿泊施設やレストラン。黒人の旅行者たちが、それらの施設を利用した際のトラブルを避けるため、彼らが利用可能な施設をあらかじめ記したのが、この“グリーンブック”という次第である。

 そんな“グリーンブック”を渡され、運転手としてハンドルを握るのは、トニー・“リップ”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)だ。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めていた彼は、クラブが改装期間に入るあいだ、別の仕事を探すことを余儀なくされる。そんな彼のもとに、「期間限定で黒人ピアニストの運転手をやらないか?」という話が舞い込んでくる。ピアニストの名前は、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)。トニーはその名を聞いたことがなかったけれど、カーネギーホールの上階の高級マンションに居を構える、とても高名なピアニストであるらしい。

 これから8週間にわたって、アメリカ南部を初めてまわるコンサートツアーを予定している彼は、ある種の“トラブルバスター”であるトニーの腕を見込んで、そのツアーの運転手兼マネージャーとして雇い入れようというのだ。黒人に対する印象は必ずしも良くはないけれど、背に腹は代えられない。高額なギャラに惹かれたトニーは、結局その仕事を引き受けることにする。こうして、人種はもちろん、生まれも育ちも、その価値観も大きく異なる2人──本来ならば、出会うことのなかったかもしれない中年男2人の旅が始まるのだった。

“グリーンブック”を片手に、アメリカ南部を車で旅するトニーとドクター・シャーリー。しかし、それでもなお、彼らは行く先々で数々のトラブルに見舞われる。そもそも、文化習慣はもちろん、その価値観が大きく異なる2人の意見は、ことごとく合わないのだ。雇い主とはいえ、舐められてたまるかと、いつもの不遜の態度を崩さないトニー。そんな彼の子どもじみた振る舞いを穏やかな口調で諭しながら、どこか興味深そうに眺めているドクター・シャーリー。彼のピアノの腕は、間違いなく本物だった。それはトニーにも、感じ取ることができた。しかし、あまり楽しそうには見えない。そして、時折彼が見せる孤独感の正体は何なのか。その才能に敬意を払うと同時に、ドクター・シャーリーという人間に対しても、トニーは徐々に興味を持ち始めてゆく。

 だが、そんな“黒人ピアニスト”、ドクター・シャーリーをめぐるアメリカの現実は、トニーが想像していたよりも遥かに過酷なものだった。その類まれな才能と技巧に賛辞を送りながら、それ以外の場所では、ひとりの黒人──すなわち、自分たちとは違う“何か”として、慇懃無礼な態度を隠そうともしない白人富裕層の人々。あるいは、名もなき黒人のひとりとして、問答無用にぞんざいな態度をとる街の白人たち。そして、白人が運転する車の後部座席に悠然と座る彼を、不思議なものを見るような目でじっと見つめる農場の黒人たち。そもそも、ホワイトハウスでの演奏経験もある著名なピアニストであり、高級フラットで悠々自適な生活を送るドクター・シャーリーは、なぜそのような過酷な現実が支配する、アメリカ南部をまわるツアーを企画したのだろうか。

 本人の口からその理由が直接語られることはないものの、それは同時代に活躍したキング牧師のように、依然として南部に残る“人種差別”に異を唱えるためではなかったはずだ。ツアー先で彼の演奏を聴きにくるのは、“差別する側”である白人の富裕層たちばかりなのだから。彼らはドクター・シャーリーの音楽的才能をほめたたえながら、その一方で彼が同じ宿に泊まることを拒否し、同じ席で食事をすることも、同じトイレで用を足すことも禁じる。彼らは悪びれることなく、こう言うのだ。「申し訳ない。ここでは、そういう決まりだから」。その不条理が、トニーにはどうにも納得がいかない。“人種差別”云々よりもまず、自分たちで彼を招いておきながら、その演奏を存分に堪能しながら、決して同じ“人間”としては扱わない、礼を欠いたその奇怪な態度が気に食わないのだ。そして、その苛立ちはやがて、そんな状況を甘んじて受け入れている、ドクター・シャーリー自身にも向けられていくのだった。

 あるとき、暴言を吐いた警官をトニーが殴り倒し、2人そろって留置所に放り込まれてしまったトニーとドクター・シャーリー。ドクター・シャーリーの機転によって、なんとかことなきを得たトニーは、その後、車の中で自らの暴力についてドクター・シャーリーに咎められる。「暴力は負けだ。品位を保つことが勝利をもたらすのだ」。そう、いかなる仕打ちを受けようと、そこで取り乱すことなく、自らの品位を保つこと。それこそが、ドクター・シャーリーの“戦い方”なのだ。しかし、トニーは納得がいかない。「俺はあんたより黒人だ。あんたは黒人を知らない。黒人の食い物、暮らし、リトル・リチャードも知らない」。その発言に、流石にブチ切れるドクター・シャーリー。「彼を知ってれば黒人か? 自分で言ってることが分かってるのか?」。

 しかし、それでもなお、トニーの言葉は止まることがない。「俺は自分が誰か分かってる。生まれ育ちはブロンクス。親と兄弟、今は妻子もだ。それが俺って男だ。家族を食わすために毎日働いてる。あんたの住まいは城のてっぺん。金持ち相手の演奏会。俺は裏町、あんたは玉座。俺の世界の方が黒い!」と。そんな彼の暴言を受けて、無言で車を降り立つドクター・シャーリー。そして、彼を追ってきたトニーに向けて、こう言い放つのだった。「私は独りで城住まいだ。金持ちは教養人と思われたくて私の演奏を聴く。その場以外の私はただのニガー、それが白人社会だ。その蔑視を私は独りで耐える。はぐれ黒人だから。黒人でも白人でもなく、人間でもない私は何なんだ?」。

 

そう、この映画は、“人種差別”が公然と存在していた時代の中で、黒人にも白人にも与することができず、なおかつそのどちら側からも距離を置かれ、ひとり孤独に苦しんでいる男の告白を描いた映画なのだ。我々の“アイデンティティ”とは、果たして何によって築かれるものなのか。トニーが言うように、それは自らが生まれ育った環境や文化によって、ごく自然と築かれるものなのかもしれない。しかし、幼少の頃にクラシック音楽に魅せられ、レニングラードで教育を受けたドクター・シャーリーの場合は? 彼は、自らのアイデンティティに、常に“揺らぎ”を抱えている。なぜなら、彼が“そう在りたい”と願う自分と、周囲の人々が彼に“そう在るべきだ”と求める自分は、いつも乖離しているから。その中で彼は、誰に気取られることなく、孤独な戦いを繰り広げてきた。しかし、トニーは、無学であるものの、そんなふうに“この世界が複雑である”ことは知っているのだった。

 「ベートーベンやジョーパン(ショパン)は大勢が弾く。あんたが弾くようなピアノは、あんただけだ」。ドクター・シャーリーと行動を共にしながら、トニーもまた、所与のものだと思っていた自らのアイデンティティについて、思いをめぐらせる。自分はその価値観や態度を、ドン・シャーリーのように自らの手で選び、掴み取ってきたのだろうか。南部の白人たちと同じく、「そういうものだから」と無批判のうちにそれを受け入れ、自分自身で考えることを止めていたのではないか。

 トニーが言うように、この世界は、かくも複雑にできている。人種や国籍、あるいは性別などによって、わかりやすく区分けしてみたところで、そのすべてを捉えることなど到底できないのだ。そもそも、ブロンクスで暮らすイタリア系アメリカ人であり、マフィアなど反社会勢力とも関わりの深い彼が、アメリカの白人を代表するマジョリティだとは、とてもじゃないけど思えない。見方を変えれば、彼だってマイノリティであるはずなのに、どうして他の誰かを見下すことなどできるのか。そんなマージナルな場所に位置する人々を、ステレオタイプではない“その人自身”として見ること。そして知ろうとすること。端的に言うならば、考えることをやめないこと。それこそが、今の時代に通じる“多様性=ダイバーシティ”の根本の在り方であり、本作が射程する最も肝要なテーマであったように思うのだ。

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