提婆達多・そして回向 について

まりさん
こんばんは。

仏教なるものは様々な脚色に満ちており、歴史上の事実からかけ離れていることが多いです。
提婆達多も、後世に話が膨らみに膨らみ、とんでもない悪人に仕立て上げられました。
釈迦教団を乗っ取ろうとして、釈尊を大きな石を落として殺そうとしたり、象に襲わせたり、などとされています。

しかし、歴史上の事実は、提婆達多は、緩やかだった戒律、または最初期より緩やかになりつつある戒律を本来の厳しいものに戻そうとしただけです。
食事は托鉢だけというのが最初期でしたが、多くの長者、金持ちにも支持を受けるようになり、その邸宅に招かれて家の中で食事をよばれることも多くなってきていました。

そういうような戒律を最初期に戻そうとする極めて真面目な人でした。

ただ、普通の弟子では、釈尊に対してそういう意見を言うことはしなかったでしょうが
提婆達多釈尊のいとこであり血族であったことに驕りがあったとは思います。
釈尊の留守中に、戒律を5つ厳しくするように発議し、弟子たちの多くの賛同を得ます。

びっくりした長老たちの必死の説得により、賛同者も戒律を変えることに反対となっていきましたが
提婆達多は、賛同者を連れて出て行き、新しい教団を作りました。

これにより、教団を分裂させたということで、後世、とんでもない悪人に仕立て上げられてしまいました。
釈尊を殺そうとしたというのは史実ではありません。


次に、亡くなった時にお坊さんが死者の回向のためにお経を読みますが、釈尊本来の教えではそういうことは否定されています。

バラモンが死者に聖句を唱えていいところに生まれさせるというのは意味があるのでしょうか』と聞かれたとき、釈尊

『池に大きな石を投げ込んだとする。池の周囲で皆が集まって、石が浮かんでくるように唱えたら浮かんでくるだろうか。また、池に油を投げ込んだとする。油に沈め沈めといったところで油は沈むだろうか。そのように、人は、自らの行ない、性質によって死後、浮かんだり沈んだりするのであって、それを周囲のものが祈ったからといって沈むものが浮かんだりはしない。』

という趣旨のことを答えています。

釈尊はそのように否定してます。