『ドライブマイカー』のラストシーン

 owl22 (106.156.113.172)  
ショーシャンクさん、こんにちは。
『ドライブマイカー』、アカデミー賞受賞しましたね。
村上春樹原作というので、少し避けていましたが、最初のシーンはさすがに村上色が濃く、でもラストは原作にないらしですね。
もし、ラストシーンがなければ、村上作品らしく、なんだろう???と終わっていたかなと思います。
でも、この映画ではこのラストこそ希望につなげてと良かったなあ、と思いました。 死--特に身近なものの死は、この世の不条理を、考え方一つなのでしょうが、真正面から覆いかぶされたようで、抜け出るのに何年も苦労します。
この映画を観る前にちょうど、私自身は「身近な人の死は私自身が亡くなってから、あの世で謝ったりいろいろ聞いてみよう、過去の事は一旦封印して明るく生きよう」と決めたばかりでした。
『drive may car』という題名が導くのは、過去に捕らわれず、未来に向けて、自分の車で道を走ることだと思いました。 私の中では 主人公は彼女だった、と今でも思っていいます。
drive a car でもdrive your/her/his/our/theirでもない、いつもdrive someone’s car の日常から 彼女自身が人生を運ぶ”DRIVE MY CAR”としてのラスト。
彼女の日常が 過去にとらわれず、自信とか明るさや、死を乗り越えた強さを見せるというのでもなく、あるものはある、ないものはないとして、淡々と静かに、希望を持って、日々を、人生を、前に運んでゆく、確かに自分の車で。それがーーdrive my car。生い立ちから初めて持つmy car。 
もしかしたら実質は家福との2人の車かもしれませんが。ラストは静かに自由である彼女が車が走らせます。ラストに注目している人が少ないのか、授賞式では三浦さんの姿もありませんでしたね。私は映画に、ラストに感じたことは、このようなものです。
4月になりました。 映画は侵略が始まる前に観て、ロシア作品を読み直そうかなと探していたところでした。今は 何も読めないし、読みたくなりません。辛い映像が続くと過呼吸にもなりそうです。今年は外に目を向け訪れてくれた春に心から感謝して日々を送りたいと思います。 ショーシャンクさんの明日がどうぞ「好日」でありますように、祈っています。

 

 

 

owlさん、こんにちは。

映画『ドライブマイカー』の感想を書いていただきありがとうございます。

私も本当の主人公はみさきだったと思いますね。

ですから、ラストシーンがみさきで終わっています。

絶望から再生、希望です。

なぜ、ラストシーンが韓国なのか?についてですが、、私はごく単純に全くの新天地ということを強調したいのだと思っていました。

それでこそ、再生が印象付けられるからです。

広島で会った韓国人夫婦での彼女にとってのとても楽しい経験も韓国に行くきっかけになったとは思います。

ラストシーンで車に乗っていた犬は、広島の韓国人夫婦の犬で、韓国人夫婦が韓国に移住したときに誘われて韓国で運転手をしている、という解釈をしている動画もありました。

しかし、私はそうは思わず、やはり車の犬は彼女が飼っている犬で、新天地で自由に新しい生活を楽しんでいる、と思いたいです。


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この動画では、途中の細部にわたってはある程度共感できることもありますが、ラストシーンの解釈が私とは全く違います。

ラストシーンの赤いサーブは相変わらず家福の車で、みさきは一緒に暮らしている、とか、その運転手をしている、というのでは、ないように思えます。

家福は家福で、過去つまり潜在意識の象徴である赤いサーブを心から除去して、その車が好きだと言ったみさきに譲ったのだと思っています。

それでないと、この映画が、『シッピングニュース』のような過去のdeleteをテーマにしているという私の説が崩れます。

どれが正解かはわからず、その人ごとに正解があるのだとは思いますが。

 


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この動画では、ラストシーンが韓国だった理由を、みさきの母親が韓国人だったから、と考察しています。

あり得るかもしれませんが、私はもっと単純に、広島での韓国人夫婦を見て新天地を韓国にしようと決めたのだと考えていますが。

 

それにしても、なかなか考えさせられる作品でしたね。