今年も残りわずか

 owl22 (106.156.113.172)  
ショーシャンクさん、こんばんは。 寒くなってきましたね。仕事は一段落、年の瀬も押し迫り、今日は鏡餅を購入してきました。
しめ飾りもしなくては。師走ですね。
映画は、「The Guilty ギルティ」 デンマーク版を観ました。(アメリカのリメイクもあるようです) 緊急通報指令室からの電話からの声と音だけで、作られたドラマで、低予算。 観客の想像力をいかに働かせるかを主眼において制作されたと思います。 手法に評価が分かれそうです。テレビドラマでもよさそうな映画ではありましたが、説得にあたったオペレーターの彼の過去の告白になってくると不意に涙が出てしまいました。
今年もいろいろあり過ぎました。先日は友達とクリスマス会をしましたが、なんと2年ぶりでした。あと5年、10年後に振り返ったときに、この年はどう振り返ることになるのだろう?と思います。「日常が脅かされ、社会に不安が広がり、確かな明日が見通せない時代」。
だからこそ、「今日一日を大切に。」と本に書かれていました。現実には行動に移すのは容易でないときも多いのですが、ショーシャンクさんのご投稿を読み返して、しっかりと生きていこうと思います。 今日明日もどうぞ「好日」でありますように。

 

 

owlさん、おはようございます。

今年も後4日を残すだけになりましたね。

今年最大の寒波が来ると言うことで、スタッドレスタイヤに履き替えましたが、雪は積もらず活躍場面はありませんでした。

今年も思い返してみると、自分の人生において何個か大きな事がありましたが、過ぎてみると泡のように感じますね。何もなかったように感じます。

最近はずっといい映画に出会わなくて、NHKオンデマンドで昔の大河ドラマを見返しています。

戦国時代や幕末ものがあまりにも多く少し食傷気味なので、その他の時代の『太平記』や『草燃える』などを見てます。

個人的には、『太平記』の片岡鶴太郎の北条高時が好きで、北条が滅びる最後の時、『母上は父上に、頭の弱い私を「頭が弱くても長男なのだから公平に見て後を継がせなければ」と言った。「公平」というのはいいことだったのかどうか。』と言って死にます。ちょっと考えさせられました。

 

今日のネットの記事に黒澤明監督の言葉が出ていて、非常に感銘を受けたので、載せます。

 

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黒澤明──『七人の侍』や『羅生門』、『生きる』など、世界の映画史に燦然と輝く傑作群を残した映画監督です。  よく知られるように彼は、もともと絵描きをめざしていた人物でした。実際、彼の残した絵コンテは画集として出版されるほど芸術性にすぐれています。絵コンテでこのクオリティなのだから、本気で絵を描いたらどうなるのかと思ってしまうほどです。いったいなぜ、絵の道をあきらめたのか。晩年のインタビューで彼は、その理由を「描く技術」ではなく、対象を見る「目」に求めています。

 

──おもしろい話しましょうか、絵ってねえ、たとえばセザンヌでも誰でも長いことかかって絵を描いてるでしょ?

下手な絵描きっていうのはすぐ絵ってできちゃうんだよ。

あんなには描いてはいられないんですよ。

ということはねえ、あの人達が見てるものを僕達は見てないわけ、あの人達が見えてるものは違うんですよ。

だからあんだけ一生懸命描いてるんですよね。自分に本当に見えてるものを本当に出そうと思って。

僕達にはじつに浅はかなものしか見えてないからすぐにできちゃうわけ。 ──

(『黒澤明、宮崎駿北野武──日本の三人の演出家』ロッキング・オン刊より)

 

つまり、こういうことです。  すぐれた画家たちは、画力以前に「目」がすぐれている。凡人には見えないものを、ありありと見ている。だからひとつのモチーフを長い時間かけて描き続けるし、それに飽きることがない。一方、自分(黒澤)のような凡人は、すぐに描き上げてしまう。筆が速いのではない。一流の画家たちに見えているものが見えていないから、すぐに描き上げてしまうのだ。ほんとうはまだ、描き上げてはいけないのだ。見る(読む)べき対象は、もっとあるのだ。

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さて、様々なことがあった今年も残りわずかですね。

寒波が押し寄せる中、くれぐれもご自愛ください。