owlさん、おはようございます。
今年も後4日を残すだけになりましたね。
今年最大の寒波が来ると言うことで、スタッドレスタイヤに履き替えましたが、雪は積もらず活躍場面はありませんでした。
今年も思い返してみると、自分の人生において何個か大きな事がありましたが、過ぎてみると泡のように感じますね。何もなかったように感じます。
最近はずっといい映画に出会わなくて、NHKオンデマンドで昔の大河ドラマを見返しています。
戦国時代や幕末ものがあまりにも多く少し食傷気味なので、その他の時代の『太平記』や『草燃える』などを見てます。
個人的には、『太平記』の片岡鶴太郎の北条高時が好きで、北条が滅びる最後の時、『母上は父上に、頭の弱い私を「頭が弱くても長男なのだから公平に見て後を継がせなければ」と言った。「公平」というのはいいことだったのかどうか。』と言って死にます。ちょっと考えさせられました。
今日のネットの記事に黒澤明監督の言葉が出ていて、非常に感銘を受けたので、載せます。
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黒澤明──『七人の侍』や『羅生門』、『生きる』など、世界の映画史に燦然と輝く傑作群を残した映画監督です。 よく知られるように彼は、もともと絵描きをめざしていた人物でした。実際、彼の残した絵コンテは画集として出版されるほど芸術性にすぐれています。絵コンテでこのクオリティなのだから、本気で絵を描いたらどうなるのかと思ってしまうほどです。いったいなぜ、絵の道をあきらめたのか。晩年のインタビューで彼は、その理由を「描く技術」ではなく、対象を見る「目」に求めています。
──おもしろい話しましょうか、絵ってねえ、たとえばセザンヌでも誰でも長いことかかって絵を描いてるでしょ?
下手な絵描きっていうのはすぐ絵ってできちゃうんだよ。
あんなには描いてはいられないんですよ。
ということはねえ、あの人達が見てるものを僕達は見てないわけ、あの人達が見えてるものは違うんですよ。
だからあんだけ一生懸命描いてるんですよね。自分に本当に見えてるものを本当に出そうと思って。
僕達にはじつに浅はかなものしか見えてないからすぐにできちゃうわけ。 ──
(『黒澤明、宮崎駿、北野武──日本の三人の演出家』ロッキング・オン刊より)
つまり、こういうことです。 すぐれた画家たちは、画力以前に「目」がすぐれている。凡人には見えないものを、ありありと見ている。だからひとつのモチーフを長い時間かけて描き続けるし、それに飽きることがない。一方、自分(黒澤)のような凡人は、すぐに描き上げてしまう。筆が速いのではない。一流の画家たちに見えているものが見えていないから、すぐに描き上げてしまうのだ。ほんとうはまだ、描き上げてはいけないのだ。見る(読む)べき対象は、もっとあるのだ。
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さて、様々なことがあった今年も残りわずかですね。
寒波が押し寄せる中、くれぐれもご自愛ください。