ねこまるさん、大河ドラマ『どうする家康』は、信長の命令で正妻の瀬名と嫡男の信康を殺してしまったことから、信長を殺す決意をしたという流れにしています。
しかし、あまりにも意外なことに明智光秀が先に信長を殺したために、直接犯にも黒幕にもならずにほうほうの体で三河まで逃げ帰った、ということにしたいのでしょう。
すでに、京の町に、伊賀の忍びを数多く潜伏させていますね。
本能寺の変の時には、家康は堺見物に行っていました。
これは極めて危険な状況です。
領地の三河まで逃げ帰るには、明智軍を突破して行かなくてはいけません。
このドラマでは、京の町に潜伏させていた伊賀ものが本能寺の変をいち早く堺の家康に伝え、伊賀ものに守られながら伊賀国を通るルートで逃げ帰るという筋書きでしょう。
本当は茶屋四郎次郎から聞いて家康は動転し、絶望的になり自害することを決意します。
家臣の説得で逃げ延びることにしたのですが、このことからも黒幕であるはずはないです。
また、性格的には弱い人なのかなとも思います。
ですから、優柔不断で弱い性格に描いてくれれば、私は斬新な大河ドラマになると思っていたのですが。
家康は、豊臣秀頼を殺し、豊臣家を滅亡させたことから、腹黒い嫌な人格に思われていますが、私はすべて家康の弱さから来ていると思っています。
そして、自分の弱さを知っているところが家康の強みです。
家康は、晩年、成人した秀頼とはじめて対面します。
そして、その時から、毎日、『南無阿弥陀仏』という念仏を書き続けます。
つまり、秀頼と対面したときから、殺す決意をしたのです。
秀頼は大阪城を出たこともなく、淀君をはじめ女性たちに取り囲まれて育ったことから、頼りなくとんでもない馬鹿であるという噂が立っていました。
家康は、それを自分の目で確かめて安心したかったのでしょう。
しかし、実際の秀頼は、身体も大きく堂々としていて、話す言葉もしっかりしていてとても優秀だったのです。
威厳が備わっており、将となる器でした。
これを見て、家康は、秀頼を生かしていれば徳川家は危ないと思って、殺すことを決意し、その時から死ぬまで念仏を書き続けました。
『怯え』から殺したんだということがわかると思います。