俯瞰して見る

たーぼー (126.245.53.6)  

ショーシャンクさんこんばんは。 しかし、少しずつ、意識が広がって、この世を固定したものでなく泡のように見ることができはじめると、エネルギーが引き裂かれることがなくなってきます。 言い換えると、『俯瞰して見る』ということになるかもしれません。 今は出来ていないですが、私この泡のような感じよくわかるんです。 解脱前の感じではないでしょうか? 一方で以前のショーシャンクさんの投稿で、禅にも意識レベルの高い人はいると思いますとか、後は私の好きな池田晶子さんも使っていた魂の傾向性という言葉をショーシャンクさんも使っていました。 禅だと大悟徹底した境地とは、「柳は緑、花は紅」という非常にくっきりはっきりした境地のようです。 目は横鼻は縦というような、はっきりくっきりした感じらしいのですが、何かよく分からなくて、これって魂の傾向性なんでしょうか?
 
 
たーぼーさん、こんにちは。
禅は私も好きで、高校時代から禅の本はよく読んでいました。『臨済録』や『正法眼蔵』、あるいは、『碧巌録』や『無門関』を解説した本など、どれも好きでした。
禅では、臨済が飛び抜けていると思いますし、後世、臨済の法流のものばかりが繁栄していき中国の禅界のほとんどが臨済の影響下にあるくらいまでになりました。
この臨済と同格なのは趙州で、臨済よりひょっとすると上なのは、長沙と普化かなと思っています。
 
ただ、仏陀の真意を探求していてその全体像が分かるようになると、禅の危険性も感じます。禅のような無思考型の瞑想は、確かに坐禅している40分ほどは思考が少なくなり、それを長期間続けると、ある時に意識から思考の制限がなくなり、悟った気分になることはあると思います。しかし、日常生活に戻ると、思考というのは必要不可欠ですから、元の木阿弥です。その悟った体験を記憶として持ち続けて『自分は悟った』と言ってむしろそれが自我を形成してしまう人が非常に多いように思えます。禅をやったばかりに人格が悪くなる人もいるでしょう。
奇抜な『二元対立を超越したような言葉』を吐いては悦に入るような人が出てきます。
 
道元は、宋から帰った時、『眼横鼻直なのがわかった』と言いました。
禅ではよく『柳は緑 花は紅』という言葉を使います。
私に言わせれば、『それがどうした?』という感じです。
仏陀はそのようには見ないでしょうね。眼も鼻も柳も花も生滅するもの、変滅するものとして見るでしょう。
 
私は、柳は緑、花は紅とくっきり見るより、その境界がなくなるようなそのような世界観の方が好きですね。
 
 
たーぼー (126.245.53.6)  
ショーシャンクさんこんばんは。 今日いつも通りトラックの仕事が終わって、スマホで私の大好きな長渕の歌を聴いたら昭和という曲でした。ちょっと歌詞を見て下さい。ユーチューブに歌の動画があるので良ければ見て下さい。 昭和 作詞:長渕剛 作曲:長渕剛 傷つけば傷つくほど優しくなれた 貧しさは大きな力になり 意気地のなさは勇気に変わる ひねた瞳は真実を欲しがる 真実はとてつもなく激しかった 愛せば愛するほど苦しくなる はかなさが美しいから 死にたくてもまた歩いた 俺はいま真夜中の湾岸をとばしている カーラジオ消して受話器を耳にかたむける 進路は東へとお前の声を聞きながら走る とうとう昭和の歴史が終わった 悲しめば悲しむほど想いやれた 悔しさは大きな力になり 力はいつしか詩になる 許せないのは自分となる 俺はいま受話器を静かに置いた あゝ吹きすさぶ強く冷たい風に抱かれたい 夜明け前の街が確かに動き始めてる とうとう昭和の歴史が終わった 夜明け前の街が確かに動き始めてる とうとう昭和の歴史が終わった 私はショーシャンクさんの書いていた四無量心という言葉が浮かんで、トラック運転しながら涙腺が緩んでしまいました。
 
 
たーぼーさん、おはようございます。
人は音楽を聴くと何故感動するのでしょうか。もちろん様々な理由はあるでしょうけど、その時に俯瞰して見ることができるからではないかと思います。
自分の過去、記憶、思い出を俯瞰して見る、この世のあり様を俯瞰して見るような意識状態になることができた時に感動するのだと思います。
日常生活に巻き込まれているときには、その次元で快楽や苦痛を経験します。そしてその経験に巻き込まれていて俯瞰できない状況です。
音楽を聴く時、日常の感覚を離れ少しの間俯瞰して見るような感覚になることがあります。そのときに、すべては美しい泡のように見えるのかもしれません。
 
映画『フラッシュダンス』の主題歌『What a Feeling』にあるように、
この世界は日常の感覚で見ると、『鋼鉄と石で作られた変えられない強固なもの』と見えてしまいます。
しかし、俯瞰して見れば、この世は泡のように変えやすいものです。臨済もそう言っています。
 
 
 
   我れ見るに、諸法は空相にして変ずれば即ち有、変ぜざれば即ち無

三界唯心、万法唯識なり

所以に夢幻空花、何ぞ把握を労せん

唯だ道流、目前現今聴法底の人のみ有って、火に入って焼けず水に入って溺れず

三途地獄に入るも

園観に遊ぶが如く、餓鬼畜生に入って 而も報を受けず

何に縁ってか此の如くなる

嫌う底の法無ければなり

 

 

 

大徳、四大色身は是れ無常なり

乃至、脾胃肝胆、髪毛爪歯も、唯だ諸法の空相を見る

汝が一念心の歇得する処、喚んで菩提樹と作す

汝が一念心の歇得すること能わざる処、喚んで無明樹と作す

無明は住処なく、無明は始終なし

汝若し念念心歇不得ならば、便ち他(か)の無明樹に上り

便ち六道四生に入って、披毛戴角せん

汝若し歇得せば、便ち是れ清浄身界なり

汝一念不生なれば、便ち是れ菩提樹に上って、三界に神通変化し

意生化身して、法喜禅悦し、身光自ら照らさん

衣を思えば 羅綺千重、衣を思えば、百味具足して、更に横病なし

 菩提には住処無し、是の故に得る者無し

道流、大丈夫の漢、更に箇の什麼をか疑わん

目前の用処、更に是れ阿誰そ

把得して便ち用いて名字に著すること莫きを、号して玄旨と為す

与麼に見得せば、嫌う底の法勿し

古人云く、心は万境に随って転じ、転ずる処実に幽なり

流れに随って性を認得すれば、喜びも無く亦憂いも無し、と

 

 

 

汝が一念心の疑、地に来たり礙えらる

汝が一念心の愛、水に来たり溺らさる

汝が一念心の瞋、火に来たり焼かる

汝が一念心の喜、風に来たり飄えさる

若し能く是の如く弁得せば、境に転ぜられず、処処に境を用いん

東湧西没、南湧北没、中湧辺没、辺湧中没

水を履むこと地の如く、地を履むこと水の如くならん

何に縁ってか此の如くなる

四大の如夢如幻に達するが為の故なり

道流、汝が祇だ今聴法するは、是れ汝が四大にあらずして、能く汝が四大を用う

若し能く是の如く見得せば、便乃ち去住自由ならん

 

 

 ここで臨済は、四大(地水火風というこの世を構成する要素)が夢や幻のようであるという意識に到達すれば、水を踏むことも地を踏むようにすることができるとまで言っています。凄い全能感ですね。
 
 
それにしても、映画『フラッシュダンス』の主題歌『What a Feeling』の字幕版の訳は本当にいいですね。英語の原文からこのように訳すのはなかなかできません。屈指の名訳だと思います。
 
私は独り 涙を流す
誇りに満ちた 静かな涙を
鋼と石でつくられた 孤独な世界で
 
このフィーリング
人生を信じて ステップ踏めば 世界は私のもの
情熱に燃えて 夢を捨てずに
ステップを踏めば 人生は光り輝く
 
 

泡のように見る

たーぼー (126.193.86.51)  

新年明けましておめでとうございます⛩ かなり久しぶりに書き込みます。 時々はこのサイトは拝読させてもらってたのですが、何故か書き込む気持ちになれなくて、読んでおしまいにしていました。 ショーシャンクさんの書き込みを見ていると、いつも不思議な感じになります。 実在するのは唯一の意識だけであり、この現象全てはその実在が見ている夢であると確信を持っている一方で、株や世界情勢など世俗に関わる話も自然にやっていて面白いなといつも思っています。 私はそこが上手く出来なくて、形而下の話をするとその話にのめり込んでしまい、全ては虚偽だと言うことも忘れて熱くなったり、形而上の話を始めるともう世俗の話なんぞどうでも良くなってニュースも見なくなります(笑 バランスが上手く取れないというのか、何かコツがあるのでしょうか?
 
 
明けましておめでとうございます。
確かに、私も、精神世界の方にどっぷり浸かって、この世の価値を感じ取れないときもありました。そういうときは非常に中途半端なのです。つまり、精神世界に行っているわけでもなく、この世を十全に生きているわけでもなく、宙ぶらりんでエネルギーがどちらにも発揮されない状態です。
しかし、少しずつ、意識が広がって、この世を固定したものでなく泡のように見ることができはじめると、エネルギーが引き裂かれることがなくなってきます。
言い換えると、『俯瞰して見る』ということになるかもしれません。
 
この見方は、この世に対処するためには非常に役に立ちます。
意識が広がり、俯瞰して見るようになり、この世が泡のように見え始めたら、ただの気の流れのように感じます。
この、気の流れを感じることができれば、世界や時代の流れをほんの少し感じ取ることができます。これは事業をしていても、株などの投資をしていても、いろいろな決断に非常に役立ちます。
また、俯瞰してみることができると、人との交渉などは上手になります。
自分の精神だけが主体だと思えるようになりますから、人にどのように悪く思われてもあまり気にならなくなり、こちらの最大利益が得られるように交渉を進めることができます。自分がどう思われるかばかり気にする人はそこが弱みとなって下手な交渉しかできません。
 
臨済のように、自分の精神だけが絶対の主体だと思えるようになれば、この世の対処も矛盾なくうまくいくと思います。
 
精神が無量であれば、目の前に現れる現象も無量になるはずであり、富も無量であるのが本当です。
 
刻々と変化する国際情勢も、あるいは歴史を見ても、すべて気の流れということがわかれば、面白くて仕方なくなります。
 
 
たーぼー (126.193.86.51)  
返信ありがとうございます。 ちょっとショーシャンクさんの十二縁起の無明からの説明をもう一度してもらえないでしょうか? 仏教コーナーの方がいいですかね。 無明は形成する意思でしたね。 出来るだけ平易な言葉を使ってもらえると助かります。 なんて言っても学がないので、難しい文章が読めないのです(涙) お時間空いた時でもよろしくお願いします。
 
わかりました。それでは、ブログ『仏教についてのひとりごと』に質問してください。まとまった時間があるときに書きますね。

2020年

明けましておめでとうございます。

2020年が始まりました。

今年は非常に大きな転換点の年だと思っています。

自分にとっても世界にとっても。

今年の7月以降、世界は大きく動きそうな気がします。

世界にとっても自分にとっても、生まれ変わる年、または生まれ変わらなければならない年になるでしょう。

 

私の今年の抱負は、ライフワークに専念すること、です。

私のライフワークは、『歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのか?』を探求することです。

そして、去年までで、歴史上の仏陀ゴータマ・シッダッタ)が本当は何を言いたかったのか、そして仏陀の死後その真意がどういう理由で隠れていったのか、どうして大乗仏教は興ったのか、なぜ仏陀の死後数百年も経ってから新たに膨大な大乗仏典を創り上げなければならなかったのか、そういうことがかなりわかってきました。

去年までは、興味分野が多岐にわたっていましたが、今年はライフワークに専念して行きたいと思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

id:mariy22  

新年 あけましておめでとうございます。 穏やかな暖かい新年を過ごしてます。 庭に出てみると野鳥のメジロが熟した柿の実をついばんで田舎らしい風景に見入っております。 平和ですね。 今年はオリンピック アメリカ大統領選挙のビッグイベント 、happeningで世界情勢の心配事 大きな災害が起こるかも知れません。 この一年が平和でありますように。 ショーシャンクさんから今年も沢山の事学び知識を深めていきたいです。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
明けましておめでとうございます。
今年は、米大統領選もありますし、大きなことが起りそうな気がします。
年が明けてしばらくは米中も合意すると言うことで世界的に安心感が盛り上がるでしょうけど、米大統領選に近づくころには中国は相当敵対的な行動をしてくるはずです。
世界が激変する可能性があります。
ただ、変化はチャンスですし、いい年にしていきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。
 
 
id:owl22  
明けましておめでとうございます。 朝は特に寒くなりましたね。それでも、光は春をはらみ、日の入りは1分ごとのびています。パンジーなど夜の寒さに耐え縮んだ葉が、陽の光を浴びてフワッと解放されるという、その様子がたまらなくかわいいです。今日はクリスマスローズにかわいい花芽を発見しましてうれしくなりました。 世界に目を向けると、イラン司令官殺害で、米・中東情勢が緊迫してきましたね。中国も北朝鮮も、なんでもありで不可解過ぎます。 以前「月から地球の騒乱を見降ろしたい」ということを投稿したら、ショーシャンクさんにほめていただいたことを、何だか恥ずかしくもあったのですが、とてもとても天に舞いあがるほどうれしかったのを覚えています。まだよくできていないのですが、物事を俯瞰して見るように がんばってみます。 2020年、良い年になりますように。(2は一番好きな数字です。) 今年もどうぞよろしくお願いいたします
 
 
明けましておめでとうございます。
冬至から夏至への期間は、陰の極から陽の極に向かう上向きの期間ですから日に日に明るくなっていきますね。1月2月は寒い中にも明るさを感じてとても好きな月です。
物事に巻き込まれず俯瞰して観ることは本当に大切だと思います。私もできていませんが、状況や環境に巻き込まれず俯瞰して観る視点さえあれば、すべてが泡のように見えてくるのでしょう。すべてが美しく見えてくるのかも知れません。
 
今年後半は戦争、特に中国と米国との間の軍事衝突まで考えていますが、正月早々中東で戦争の気配ですね。
歴史的に見ても大きな節目の年になりそうな雰囲気です。
新しい時代になりつつあるのかも知れません。
今年がいい年でありますように。
今年もよろしくお願いいたします。
 
 
マグノリア (219.62.234.179)  
あけましておめでとうございます。 元旦からお天気にも恵まれて、明るい年の初めとなりました。 世界中からは次々と混沌とした情報が入ってきますが、それも今は遠い潮騒のようでまだ現実感がありません。 最近、W.H.オーデンの「1939年9月1日」という詩を知りました。 人間は変わらないものですね。 何があっても、死ぬまでは生きていくしかありません。 それだけです。 せめて美しいものを求めて。 良き一日が続きますように。
 
明けましておめでとうございます。私は、今年は、世界を悪くしてきた体制が崩壊する初めの年になるのではないかと思っています。今年から世界が生まれ変わっていくのではないかと。そして今年後半(7月以降)に戦争が起きるのではないかと思っていますが、新年早々、アメリカとイランの間が大変なことになっています。でも日本は平和な新年を迎えています。7月以降、米大統領選の前に、中国が台湾に侵攻して中国とアメリカが軍事衝突することになっても日本は平和でしょう。イランなどの中東で起きている反政府デモも日本では起きません。世界を見ても、平和な時、平和な場所というのは貴重なものだと痛感します。この、何があっても平和な空間にいることを感謝して、平和な時間を無駄にしないように生きようと思っています。
今年がいい年でありますように。
 

 

大晦日

id:mariy22  

ショーシャンクさん 今年も御世話になり有難うございました。 ショーシャンクさんから、沢山勉強させて頂き知識を得ることが出来ました。 来年もどうぞ宜しくお願い致します。 来る年がいい年になりますように!! 良い年をお迎えください。
 
 
今日で今年も終わりですね。
まりさん、今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
来年がいい年でありますように。
よい年をお迎えください。
 
 
マグノリア (219.62.234.179)  
ショーシャンクさん こんにちは。 令和元年もあと数時間になりました。 今年もこちらでショーシャンクさんやみなさんから、 多くのことを学び、新たな指標となる機会をも与えられました。 ありがとうございました。 来年もまたよろしくお願いいたします。 新年が平和で穏やかな一年となりますように どうぞ良いお年をお迎えください。
 
マグノリアさん、こんばんは。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
新年が平和な一年になりますように。
よい年をお迎えください。
 
id:owl22  
ショーシャンクさん、2019年令和元年も、あと12時間弱で終わろうとしていますね。 現象に左右されがちな私ですが、ショーシャンクさんの言葉を超えたものが、私の中に届き、魂を震わせる瞬間がここではあり、それはとても美しく幸せな1年でした。本当にありがとうございました。 新たな年が、どうぞ幸せな良き年となりますように。
 
 
owlさん、今年もありがとうござました。
来年もよろしくお願いいたします。
来年も美しく幸せな一年になりますように。
よい年をお迎えください。
 
 
今日は、大晦日と言うことで、地元の神社に参拝してきました。
神社と言えば正月の初詣ですが、神道からすると実はもっと重要なのは大晦日の年越の大祓だと思います。6月30日の夏越の大祓とともに、半年間に溜まった穢れを祓う行事です。
正月3が日には大混雑する神社ですが、大晦日の今日は参拝客はまばらでした。それにしても、大祓祝詞は長いので、唱えている間に何人もの人が次々参拝されていて、その場所を独占しているのが迷惑かとも思いましたが。
それでも初詣のときは大混雑で短い祓詞を唱えるのでも肩身が狭いので大祓祝詞を唱えられるのはありがたいことです。ここ数年は、初詣より大晦日の年越大祓のほうを重要視してます。
 
 
このブログを読んでくださった皆さん、このブログに書き込んでくださった皆さん、また、私の他のブログにコメントしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 
皆様にとって来年が幸せな一年になりますように。

旧約聖書詩編22編

旧約聖書詩編22編にはこうあります。

 

1   【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

2   わたしの神よ、わたしの神よ
  なぜわたしをお見捨てになるのか。
  なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
  呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
3  わたしの神よ
  昼は、呼び求めても答えてくださらない。
  夜も、黙ることをお許しにならない。
 
4  だがあなたは、聖所にいまし
  イスラエルの賛美を受ける方。
5  わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
  依り頼んで、救われて来た。
6  助けを求めてあなたに叫び、救い出され
  あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
 
7  わたしは虫けら、とても人とはいえない。
  人間の屑、民の恥。
8  わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
  唇を突き出し、頭を振る。
9 「主に頼んで救ってもらうがよい。
  主が愛しておられるなら
  助けてくださるだろう。」
 
10 わたしを母の胎から取り出し
  その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
11 母がわたしをみごもったときから
  わたしはあなたにすがってきました。
  母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
12 わたしを遠く離れないでください
  苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
 
13 雄牛が群がってわたしを囲み
  バシャンの猛牛がわたしに迫る。
14 餌食を前にした獅子のようにうなり
  牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
15 わたしは水となって注ぎ出され
  骨はことごとくはずれ
  心は胸の中で蝋のように溶ける。
16 口は渇いて素焼きのかけらとなり
  舌は上顎にはり付く。
  あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
 
17 犬どもがわたしを取り囲み
  さいなむ者が群がってわたしを囲み
  獅子のようにわたしの手足を砕く。
18 骨が数えられる程になったわたしのからだを
  彼らはさらしものにして眺め
19 わたしの着物を分け
  衣を取ろうとしてくじを引く。
 
20 主よ、あなただけは
  わたしを遠く離れないでください。
  わたしの力の神よ
  今すぐにわたしを助けてください。
21 わたしの魂を剣から救い出し
  わたしの身を犬どもから救い出してください。
22 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い
  わたしに答えてください。
 
23 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
  集会の中であなたを賛美します。
24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
  ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。
  イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
 
25 主は貧しい人の苦しみを
  決して侮らず、さげすまれません。
  御顔を隠すことなく
  助けを求める叫びを聞いてくださいます。
26 それゆえ、わたしは大いなる集会で
  あなたに賛美をささげ
  神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
27 貧しい人は食べて満ち足り
  主を尋ね求める人は主を賛美します。
  いつまでも健やかな命が与えられますように。
 
28 地の果てまで
  すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
  国々の民が御前にひれ伏しますように。
29 王権は主にあり、主は国々を治められます。
30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく
  主にひれ伏し
  塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。
 
  わたしの魂は必ず命を得
31-32 子孫は神に仕え
  主のことを来るべき代に語り伝え
  成し遂げてくださった恵みの御業を
  民の末に告げ知らせるでしょう。
 
 
ここに書かれている預言を実現するために
 
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
                      マタイによる福音書/ 27章 46節
 
 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
                      マルコによる福音書/ 15章 34節
と叫ばれたのだと思います。
また、『口は渇く』も『わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。』もイエス・キリストの十字架によって実現しました。

いちじくの木の呪いについて

id:mariy22  

ショーシャンクさん こんばんは  merry Christmas 今日はクリスマス イエスキリストについて知らないことばかりです。 イチジクの木は聖なる木なんでしょうか? アダムとイヴでもイチジクの葉が出てきます。 イチジクの木の呪い・・イエスが実を食べる事がないようにイチジクの木が枯れしてしまう。 私も考えてみました。 何か念ずるとそれが念ずるようになってしまうということかな~~ きっとショーシャンクさんのお考えと違いますよね! どうしてクリスマスツリーを飾るようになったのでしょう? サンタクロースはどこから? クリスマスソングを聴くとどうしてワクワクする? なんて初歩的な疑問にぶつかってきました。 クリスマスはイエスの生誕の日だけの知識しかありませんでした。 子供の時はサンタクロースがプレゼントを持ってくると信じてましたから。 メルヘンティックで今はクリスマスのイルミネーションがあちこち イエスキリストについて考える事全く皆無でした。 クリスマスソング イエスキリストについて ご教授ありがとうございます。 皆様に幸せの星が降り注ぎますように!!
 
 
まりさん、おはようございます。
クリスマスツリーを飾る風習自体は数百年前ドイツで、それがドイツ以外に広まったのは百何十年か前からで新しい習慣だと思います。常緑樹のもみの木が三角形に見えるのがいいらしいです。
 
イチジクの実は、砂漠が多いイスラエルの地では昔から大切にされ親しまれていたのではないかと思います。水分とともに、今のように甘いものにあふれていない時代には甘い実は貴重なものだったでしょう。
 
聖書に対する昔からの疑問の中で唯一解けていないのが、イチジクの木の呪いの話です。
 
キリスト教者のブログで、この話は、いちじくの木をイスラエルの民の象徴だと解釈しているものがありました。次のようなものです。
 

「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。」

イスラエルでは、いちじくの木は、よく見かける木です。いちじくは、3月に緑の実を付け始めます。これも食用になり、農夫がよく食べたそうです。4月になると、葉を茂らせます。過越の祭りは3〜4月ですから、きょうの箇所はこの時期にあたります。そして、5月末〜6月に、緑の実は熟します。これが夏いちじくです。その年の新しい枝に付いた実が熟すのはそのあと、これが秋いちじくです。収穫の終わりは8月末です。春先に緑の実が付かない年は、いちじくは不作です。

■いちじく=約束の地の代表的な産物のひとつ

申命記8:8「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地」

いちじくの木に実はなかった

このいちじくの木は、遠くから見ても目立つほど、葉を茂らせていました。いちじくが熟する季節ではないので、熟した実がないのは当然です。イエスが期待したのは、農夫たちが食用にする緑の実でした。しかし、この木にはそれすらなかったのです。

このいちじくの木は、この時代のイスラエルの民の象徴です。外面は繁栄していますが、内面は実を付けていません。そして、特に当時の指導者たちの特徴は、宗教的偽善です。このあとに続いて起こる出来事、イエスによる神殿の清めは、宗教的偽善に対する神の怒りを示す出来事です。

※※※※※

 

しかし、この説明ではどうも釈然としません。

聖書ではこうあります。

 

翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
 
翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。

                     マルコによる福音書/ 11章 12節~

 

 

このいちじくの木は、実のなる季節ではなかったから実をつけていませんでした。

だけど、木に向かって『今後おまえから実を食べる者がないように』と言うと、その木は枯れてしまった、ということです。

そして、この出来事を解説して、イエスは言います。

だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる』と。

 

もし、このいちじくの木をイスラエルの民の象徴として、これから実がならずに枯れることを喩えたのだとしたら、『だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる』と言う言葉をその解説とはしないはずです。

 

山に向かって海に飛び込めと言ったらそうなるのであれば、いちじくの木に対しても、実がなるように言ったらすぐ実がなるはずです。5000人分以上のパンや魚を一瞬で現出させた人なのですから。

なぜ、いちじくの木を枯らさなければならなかったのか、この一点だけはどうしてもわかりません。

 
 
 
 

最も好きなクリスマスソング


Bob Seger The Little Drummer Boy 1989

数あるクリスマスソングの中で私が最も好きなのは

The Little Drummer Boy』です。

 

 

 

 

 

The Little Drummer Boy

Come they told me
Pa rum pum pum pum
A new born King to see,
Pa rum pum pum pum
Our finest gifts we bring
Pa rum pum pum pum
To lay before the King
Pa rum pum pum pum
Rum pum pum pum
Rum pum pum pum
So to honor Him
Pa rum pum pum pum,
When we come.

Little Baby
Pa rum pum pum pum
I am a poor boy too,
Pa rum pum pum pum
I have no gift to bring
Pa rum pum pum pum
That’s fit to give our King
Pa rum pum pum pum
Rum pum pum pum
Rum pum pum pum
Shall I play for you!
Pa rum pum pum
On my drum.

Mary nodded
Pa rum pum pum pum
The ox and lamb kept time
Pa rum pum pum pum
I played my drum for Him
Pa rum pum pum
I played my best for Him
Pa rum pum pum pum
Rum pum pum pum
Rum pum pum pum
Then He smiled at me
Pa rum pum pum pum
Me and my drum.

イエス・キリストに思うこと

今日はクリスマスですので、イエス・キリストについて思うことを書きます。

イエス・キリストは世界に最も影響を与えた人であることは確かです。

イエス・キリストがこの世に生まれていなかったら、世界はまるで違ったものになっていたでしょう。イエスの誕生によって、人類は高次な宗教意識を持つことができるようになったと思います。もちろん、十字軍や魔女裁判、神父による性的虐待事件などありとあらゆる悪いことも起きたのは事実ですが。

 

 

さて、私には聖書を読んでいて長い間どうしてもわからない箇所が3つありました。

 

1つは、十字架にかけられたときの記述です。

 
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
                      マタイによる福音書/ 27章 46節
 
 
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
                      マルコによる福音書/ 15章 34節
 
これをどう解釈すればいいのか、酷い解釈では、最後の最後に信仰を捨てたなどと言うことを言う人までいます。
 
 
2、エルサレムの神殿で商売していた人を追い払ったこと
 
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』  ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
                     ルカによる福音書/ 19章 45節46節
 
この神殿はユダヤ教の神殿です。イエスは、神殿を自分の肉体の意味に使うこともあり神殿という建物にこだわる必然性もなく、ユダヤ教の神殿の風紀を守る立場でもないのになぜユダヤ教の神殿で商売している人をわざわざ暴力で排除するような行動を取ったのか、疑問でした。
 
 
3、イチジクの木に呪いをかける
 
翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
 
翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 
                  マルコによる福音書/ 11章 12節~
 
 
 
この3つの疑問のうち、1と2は、自分の中で解決しました。
1は、旧約聖書の預言を実現させようとして、十字架上で旧約聖書にある言葉を唱えたということだと理解しました。
また、2に関しては、イエス・キリストは決してユダヤ教を否定するために来たわけではなく、むしろその教えを実現するために来たのであり、ゆえに、ユダヤ教の神殿はイエス・キリストにとっても神聖なものであり、旧約聖書にあるように祈りの家であらねばならない、ということなのだと解釈しました。
 
しかしながら、3のイチジクの木の呪いに関しては、未だに理解できないままです。
 
今日はクリスマスなのでもう一度考えてみます。

『コンフィデンスマン』と『きのう何食べた?』

id:owl22  

ショーシャンクさん、 こんばんは。 楽しみにしていた『コンフィデンスマンjp』の映画のdvdが出ていたので、観ました! とても面白くて、心が軽くなりました。 コンフィデンスマンの意味を、「コンフィデンス」=「信用」の意味と考えていて、後で調べたら「マン」がつくだけで全く意味が違っていてびっくり!(笑) 製作費もそれほどかかってなく、肩肘張らずに、ダー子役の長澤まさみの変幻自在の役作りも、竹内結子も、一人ひとりの俳優がとても個性的に演じられていて、楽しくて楽しくて。 現実から離れたファンタジー、でも、ありそうでなさそうなところも快感で、楽しい!『ALWAYS 三丁目の夕日』の脚本を書いた人なんですね。何だか納得しました。 日本映画、字幕でなくて、早口でも日本語だからか、すーっと入ってくるし、いいですね。 良い映画のご紹介本当にありがとうございます。テレビも観てみますね。 『ヘイト・ユー・ギブ』というアメリカ映画も観たのですが、これは重い題材ですが、これも良かったです。今までの黒人白人というただの差別ヘイトだけでなく、黒人社会の中にある「ひずみ」にも目をむけていて凄い熱量を感じました。香港デモを想起させるシーンでは、胸がドキドキしました。 先に『ヘイト・ユー・ギブ』を観て、その後に『コンフィデンスマン』を観た、その順は私にはとてもラッキーでした。 明日はクリスマスイブですね。 今日のうちにチキンやケーキは買っておきましたが、実は美味しそうだったので、少しいただいてしまいました(笑) ショーシャンクさんのお部屋では、ベートーベンの第九が流れているのでしょうか?大きな、私が未だ見たことのない世界を堪能なされていらっしゃるのでしょうね。いつかはそういう大きな世界にいざなわれてみたいです。 良いクリスマスの日でありますように。 また、世界に静謐な時間がどうぞ訪れますように。
 
 
owlさん、おはようございます。
私も、『コンフィデンスマンjp』の映画版、観ました。
映画『スティング』が好きな人には、コンフィデンスマンシリーズはいいですね。
いつも大掛かりな舞台装置で人をイリュージョンに誘い込む手法は見ていてあきないですね。
香港デモの背景まで取り入れて、竹内結子がキャリー・ラムっぽく描かれていました。
テレビドラマの映画化では、力が入りすぎてテレビドラマの洒脱さがなくなって面白くないものになることがよくあります。
踊る大捜査線』や『のだめカンタービレ』なんかは、その典型で、映画ではコメディの要素がなくなって重苦しくなって失敗していると思いますが、『コンフィデンスマンjp』は良くも悪くもテレビドラマの延長線にあって、そういうことはなかったです。
ただ、テレビドラマのほうが面白い回がありますので、おすすめです。
 
テレビドラマといえば、私はリアルタイムでドラマを見ることはなく、前に放送されて話題になったのを一気に見ることが多いです。
正月のスペシャル版に宮沢りえが出演するという記事があった『きのう何食べた?』というドラマをアマゾンプライムで一話だけ見たら面白かったので、全部見てしまいました。
特に第2話は田中美佐子が近所のおばさんの役をしていて、主人公が自分がゲイであることを悟られないようにしようとしてどんどんドツボにはまっていくのがとても笑えます。
音楽もよくて、テーマソングの『帰り道』はほのぼのとしたいい曲ですし、『スーパー中村屋の歌』はやみつきになるインパクトです。サブテーマソングとしても優れています。
料理も本格的で参考になります。
正月にスペシャル版をするくらいですから人気になった作品なのでしょうね。
 
 
マグノリア (219.62.234.179)  
ショーシャンクさん、みなさん こんばんは。 慌ただしく過ごしているうちに、もうクリスマスイブ・・今年もあと1週間ほどになりました。 少し前に戻ってコメントを読ませてもらっていましたが、最新に「きのう何食べた?」が出てきてビックリ(^^;) ドラマのほうは未見ですが、よしながふみさんの原作漫画は好きで、前から楽しんで読んでました。特に毎回シロさんの作る料理~レシピも詳細に書いてあるし、材料のアレンジや代替えになる調味料とかもとても参考になります。 登場人物たちもみんなリアリティがあって面白いですね。 ドラマのほうもいつか纏めて観てみようと思います。 中国の人権侵害(特にウィグル族)についてのアメリカやEUの対応ですが、中国が激しく反発しても、そのイメージの悪化は避けられず、図式としては「悪の中国VS正義のアメリカ」という感じでしょうか。 そのアメリカも中東ではダブルスタンダードユダヤ人は自分たちがナチスから受けたと同じような迫害を数十年に亘ってパレスチナ人に行い続けていますが、アメリカはイスラエルに肩入れしてパレスチナへの非人道行為には知らんぷり。 所詮、内実はどの国も自分の利害関係だけで行動するだけなら、表向きに掲げる美しい言葉は使い捨てのティッシュみたいなものなんだなと虚しさを感じます。 こういう理不尽が蔓延している現実は、人類が存在する世界で消えることは無いのかもしれませんね。 西欧の理性に基づく哲学、東洋の深遠な思索、それらは個人の精神性に安息を齎すのでしょうけど、それは世界が永遠の未完のままということ。。。 Xmasにブルーな気分になるような投稿では興醒めですね。 幸運にも平和な日本に生まれてきた自分の星に、感謝。 シャーシャンクさんに、みなさんに、 メリークリスマス!☆
 
 
マグノリアさん、こんばんは。
『きのう、何食べた?』は、原作もドラマも全く知りませんでしたが、ドラマの方は1話見ると全部見てしまう面白さです。
主人公は弁護士ですが安いスーパーで特売品をきっちり安く買って、足らない食材は工夫して調理します。
主人公のお母さんが一大決心して『お母さんは、シロさんがゲイだろうと犯罪者だろうと受け入れるつもりだから。』と言ったときの主人公の表情とか、けっこうツボの箇所があります。
さて、今日はクリスマスですね。
みなさんにメリークリスマス!
 
 
 
 
 

クラシック音楽の段階

福川 (110.163.11.197)  

こんにちは。
ショーシャンクさんがクラシック音楽について語られる度に、ちょっとした焦りを感じます。

『全ての芸術は音楽に嫉妬する ニーチェ』 みたいな言葉がある通り、音楽が一番偉大な芸術なのはわかります。 何百年間人々を感動させてきたか、という視点で考えれば、そこで言う音楽が、クラシック音楽を指していることも想像できます。 クラシック音楽を真面目に聞いた事がない自分が唯一、これはいいクラシック音楽だな、と理解できるのが、ドヴォルザークの新世界です。これは認識できます。 他はベートーベンとかモーツァルトとか、いわゆる子供の頃に学校の音楽の授業で聞かされたクラシック音楽を聞いても、自分の脳には、その辺のアイドルの歌と同じで、全く響きません。 大多数の人々も同じだとは思いますが、この事は自分の人生にとってとんでもない損失だと思います。道端のいつ1万円札を拾わずに歩いてるようなもんですね。小さい頃からクラシック音楽に慣れ親しんだ脳でなくても、今からでもクラシック音楽に感動できるようになるのであれば、是非そうなりたいですし、多少の訓練で耳を鍛えるというか醒ますだけで、そうなれるのであれば、自分の人生にとってそうすべきだと考えています。 ドヴォルザーク新世界はかろうじて理解できる脳にとって、まずは何から聴けば、音楽脳の効率的な発達に繋がるとお考えでしょうか。

 

福川さん、こんばんは。

すべての学問が数学に嫉妬するように、すべての芸術は音楽に嫉妬しますね。音楽は言語を通さないので直接魂に働きかけると思います。

映画は音楽なしには成り立たないですし音楽を超える作品は生まれないでしょう。文学も言語の壁があります。

音楽の中でも、POP音楽は好きか嫌いか、です。ジャズもロックも好きか嫌いか、です。しかし、クラシック音楽は、わかるかわからないか、だと思います。

私も、高校の時まではクラシック音楽がわかりませんでした。商売人の家庭で周囲にクラシックを聴く人は誰もいませんでした。

ただ、そういうときでも、かろうじて3つの曲だけは好きでした。

それは、ドヴォルザーク『新世界交響曲』、スメタナモルダウ』、ムソルグスキー展覧会の絵』です。

ただ、これは、感動というものではなく、メロディが好きだというレベルでした。

大学に入って、モーツァルト交響曲40番やピアノ協奏曲20番などを聴いてみたのですが、繰り返し聴くとメロディには慣れたり親しみを覚えたりして『まあ、いいんじゃない?』とは思うのです。

クラシック音楽を聴くという人の多くはこの、メロディを聴き慣れて覚えていて『きれいだし、いいんじゃない?』という感じだと思います。

しかし、今思うと、それは『わかる』ということでは全くないということです。

そこには、自分の精神と音楽の間に薄皮のようなものが存在していて、決して触れ合うことがない状態だとわかります。

私の場合は、精神世界の本を読み漁って思索して、意識が広がった気になっていたころ、ベートーヴェンの運命交響曲を聴いたときに、薄皮が破れて、本当に『わかった』と思いました。そのひと夏中、『運命』を聴いていました。それによって、ロマン派の音楽家シューベルトブラームスチャイコフスキーなど)はすべて『わかる』ようになりました。ただ、ロマン派でもマーラーは『巨人』『大地の歌』を除いてはわかりませんでした。マーラー第九番などがわかるようになるのはそれからずいぶん後です。そして、バッハだけはいまだに薄皮があります。死ぬまでにわかるかどうかわかりません。

おすすめしたいのは、親しみやすい『新世界』『モルダウ』などで慣れ親しんで、それからベートーヴェンの奇数交響曲つまり、3番、5番、7番、9番のどれかを集中的に聴いていればいつか薄皮が破れる時が来るような気がします。

バッハやモーツァルトの音楽は天で響いていて地とは接触しませんが、ベートーヴェンの音楽は地から天に上昇しようとする音楽ですから、とっかかりがあります。

私も、クラシック音楽とは縁のない環境に育ちましたが、哲学的な思索や瞑想などで薄皮が取れて音楽が分かるようになりました。波長が合ったということかもわかりません。

人類の至宝たるクラシック音楽がわからないのは、人生の大損失だとは思います。

ぜひ『わかる』ようになっていただきたいと思います。

 

 

福川 (121.112.44.57)  

とても有意義かつ実践的なアドバイスを、どうもありがとうございます。 ショーシャンクさんも、クラシック音楽を10代20代の時からわかっていたわけではない、という事実には勇気づけられます。 まずは、新世界とモルダウのCDをアマゾンで発注しました。 果たして自分が、クラシック音楽を『わかる』ようになれるのか、楽しみでもありますし、不安でもあります。仮に自分がお金持ちになっても、豪邸に住んで美食家になったり、高級車を乗り回したり、世界各地の歴史遺産、文化遺産を旅して回ったり、てのは全然興味ないですが、死ぬまでにクラシック音楽だけは多少でもわかりたい、と真摯に願っています。
 
 
私もまだバッハは本当にはわかりません。ブランデンブルグ協奏曲などはとても好きで何百回聴いたかわからないくらいですが、それでもバッハの音楽との間には薄皮があります。バッハが『わかった』とはとても言えません。
私の人生の目標の一つはバッハの『マタイ受難曲』が本当にわかるようになることです。死ぬまでわからないかもしれませんが。
 
渡部昇一の『知的生活の方法』では、『わからない』ことを怖れないこと、不全感があるうちに安易に『わかった』と思わないこと、が書かれています。
これは本当に素晴らしい指標でした。
もしまだ読まれていないようでしたらぜひ読まれることをお薦めします。

 

 

福川 (121.112.44.57)  

ご返信ありがとうこざいます。 クラシック音楽とは、メロディが好きだからとか、聞いてて心地よいリズムだからとかいう理由で聴くものではなく、まさに、人類史上の天才たちが遺した至宝を拝聴し、数百年後の異国の地に産まれた平民の自分にも果たしてわかる事ができるのか、と挑戦してゆくものだと理解いたしました。何年かかるかわかりませんが、いつかショーシャンクさんに報告させていただきます。 渡辺昇一、アマゾンで発注しました。 最近、一流知識人の著作を読んでいなかったので、楽しみにしておきます。
 
音楽の楽しみ方は、人それぞれでしょうね。クラシック音楽だからと言ってPOPと何も変わらない、好きなメロディを楽しめばいいだけ、という人も非常に多いです。
逆に、クラシック音楽は知識階級のものだから、わからないと恥ずかしい、あるいはわかったふりするとかっこいい、と思って無理に聴く人もいるでしょう。
人に『クラシックとか聴かないの?』と聞かれて『聴きますよ。好きな曲も多いですよ。』と答える人は多いでしょうね。
これが『ジャズとか聴かないの?』『ロックとか聴かないの?』『演歌とか聴かないの?』と聞かれたら『嫌いだから聴かない』と言える人でも、クラシックになると『嫌いだから聴かない』と言う人は少ないですね。
 
そのような世間の意識とは全く別に、やはり音楽には波動の上下があると思います。
ベートーヴェンの運命交響曲を聴いて薄皮が破れたと同時に、ロマン派のほとんどの音楽がわかったように、しかし、マーラーやバッハはわからなかったように、上下があるのではないかと思います。 
                         
 表面的にメロディが気に入っているというだけで自分はクラシック音楽も好きだという人が多いですが、それはちょうど、映画のあらすじだけ見て面白かったというようなものでしょう。同じ映画を100人の人が見たらその理解度は100通りです。『「ショーシャンクの空に」は面白い脱獄劇だったよね』と言う人も多いです。
 
曲が『わかった』ときの喜びは大きいですから、ぜひ聴いてみてください。

 

 

ベルリンの第九

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ショーシャンクさん、 こんばんは。 第九はこの時期に良く聴くものと思っていましたが、これを逆にたどり、シラーの詩までたどり着く人は少ないと思います。良い機会を与えていただきました。 シラーが天から降りてくるものを詩に書き留め、ベートーベンが楽譜に起こし、最後の章では、人の体を通し声になり、それを聴衆が体全体で歓喜を持って受け止める、という流れを感じます。 youtubeで1942年のフルトヴェングラーを聴いたのですが、クラシックの詳しくもない私なのに、涙が自然とながれます。心の奥底からです。 以前観た「敬愛なるベートーベン」の中でしきりに語られていた「神への声」を聞いたからでしょうか?それとも友情や愛に感動したからでしょうか? この音楽を聴いていると過去の人々の無限大の功績が、現在の私に力を与え前に進むように力をくれるような気がします。 また、その無限大の存在(神なのか自分自身なのか)を感じたのか、暖かい気持ちにもなりました。 今年も残り少なくなりましたね。教えていただいた生姜で、生姜紅茶(ジンジャーティ)に蜂蜜をいれて飲んでいました。新しいご投稿どおりこれからは甘酒に挑戦して自分の体も大切にします。いつもありがとうございます。
 
 
owlさん、こんばんは。
1942年は『ベルリンの第九』ですね。
いま、私もさかんに聴いていますが、この第九は凄いです。
第一楽章、バイロイト盤であれば、星空がきらきらと降ってくるイメージなのですが、このベルリン盤はそんな生やさしいものではなく宇宙が雪崩を起こしてくる感じです。
第4楽章のラスト、バイロイト盤ではあまりのハイスピードにオケがついてこれないところがあるのですが、ベルリン盤はさすがベルリンフィルでしっかりとすべての音を出しています。
ベルリン盤は、ある意味、バイロイト盤を超えているところがありますね。第3楽章の瞑想の深まりはバイロイト盤が優れているような気がしますが。
ベルリン盤がもう少し録音がよければ、と本当に残念です。
今の録音技術で録音できていたら、聴く人の世界観が変わるくらい凄い演奏です。
他の盤も聴き比べています。
 
生姜紅茶、いいですね。
身体を温めるものを食べること、そして腸活を考えること、私もこれを重視してます。
ご自愛ください。

朝は甘酒

今まで、朝食抜きで、昼食はヨーグルトにココアときな粉と黒ごまをかけて焼きリンゴ(リンゴに蜂蜜とシナモンをかけてレンジでチンしたもの)といっしょに食べ、夜は何を食べてもいいということにしていましたが、

今日から、朝、甘酒を500ml飲むことにしました。朝食は甘酒だけです。

甘酒には酒粕甘酒と米麹甘酒があります。

酒粕で作る甘酒は必ず砂糖が入ります。砂糖は体に悪いので、米麹甘酒にしました。

米と米麹だけから作るのに、自然な甘さがあっておいしいです。

これで、朝食と昼食は、身近なスーパーフードばかりですので、最強の健康食だと思っています。

試しに、『甘酒 効能』で検索してみてください。とともに、『ヨーグルト 効能』 『ココア 効能』『きな粉 効能』『黒ごま 効能』『りんご 効能』『はちみつ 効能』『シナモン 効能』でGoogle検索してみてください。これらがスーパーフードであることがわかります。

 

 

id:mariy22  

ショーシャンクさん こんばんは。 甘酒飲む点滴と言われてます。 発酵食品で直接ブドウ糖に変換され朝摂取されると元気が出ますね。 私甘酒には生姜を入れて飲むのが大好きです。 ショーシャンクさんが、りんごを焼きりんごにしてと紹介してくださってから私もりんごだけレンジをかけて食してます。 ジャムが入りません。 砂糖も何も加えてないのにレンジで加熱するだけで甘いんですね。 リンゴが赤くなると医者は青くななると言う格言があるそうです。 毎日の焼きりんごは赤いリンゴで生のリンゴは種類を変えて食べ比べてます。 トキ シナノスイート 秋月が私の好みです。 ヨーグルト ゴマ きな粉 ココア とても体に良い食品ばかり腸内細菌を増やし ゴマ きな粉はカルシウム豊富で抗酸化作用もありココアはポリヒェノールが多くて動脈硬化予防に。 食事は毎日の積み重ねが生活習慣病になったりしますし だからこそ健康に繋がる食事療法は大事だとおもいます。 明日は12月12日一年って早いです。 良い日になりますように。
 
 
まりさん、おはようございます。
始めたばかりですが、朝の甘酒は最高です。
紙パック入りの甘酒(1ℓ入り)を冷蔵庫で冷やして、コップで飲んでいます。
500mlは多すぎたので、300mlくらいにしようと思います。
米麹甘酒と酒粕甘酒では、身体にすっと入ってくるのは米麹甘酒の方ですね。
飲むと身体が喜んでいるような気がします。
風邪の時は生の生姜をすって甘酒に入れてレンジでチンして飲もうと思います。
それ以外は、冬でも冷たい甘酒が本当においしく感じます。この身体に浸透するような感じは米麹甘酒だからでしょうか。朝食は米麹甘酒に決まりです。
 
りんごも本当に身体にいいです。生で食べるなら、トキりんごが最高です。いつもは赤りんごを焼りんごにして食べていますが、生で食べたいとき用にトキりんごをいつも置いています。
 
この朝食、昼食だと、まりさんおっしゃるように、腸活には最高なものばかりです。
 
寒い日が続きますが、今日もいい日でありますように。

ウイグル人権法案 可決!

Police officers patrolling in Kashgar, in China’s western Xinjiang.

Police officers patrolling in Kashgar, in China’s western Xinjiang.

 

米下院本会議は3日、中国・新疆ウイグル自治区の少数派イスラム教徒に対する人権侵害を巡り中国政府当局者に制裁を科す法案を賛成407、反対1の圧倒的多数で可決した。これを受け、中国外務省はさらなる対抗措置を講じるとの声明を発表した。詳細は示していない。

  同法案は9月に全会一致で上院を通過したウイグル族人権法案を修正したもの。採決前に中国共産党機関紙・人民日報系の新聞、環球時報は、中国政府は米企業の制裁につながり得る「信頼できないエンティティー」のリストを公表する可能性があると警告していた。先週には、トランプ大統領の署名により香港人権法が成立している。

   環球時報の胡錫進編集長は3日のツイートで、米当局者へのビザ(査証)発給が制約されたり、新興ウイグル自治区への立ち入りが禁止されたりする可能性があると指摘した。
        中国は香港人権法への報復措置として、米国の非政府組織(NGO)の一部に制裁を科し、米海軍艦船の香港寄港を当面禁止した。
       人権侵害で中国政府当局者を制裁対象にする法案は議会で超党派の支持を得ている。超党派の支持を得る法案はまれであり、このためトランプ大統領はジレンマに直面する。議会に反対して有権者の支持を失うこともできないが、署名をすれば年内の中国との第1段階合意の可能性がさらに後退する可能性があるからだ。

  下院法案には、ウイグル族抑圧の責任を負う中国当局者への制裁を米大統領に義務付ける条項のほか、ウイグル族や中国市民の通信や動向を制限したり偵察するのに使われ得る機器の輸出規制などが加えられた。

                         ブルームバーグ

 

 

香港に続いて、ウイグル自治区での人権蹂躙についても、アメリカ下院で、ウイグル人権法案が可決されました。

トランプが署名すれば成立します。

アメリカの議会は素晴らしいですね。日本の議会とは大違いです。

 

 

id:owl22  

ショーシャンクさん、こんばんは。 「賛成407、反対1」という凄い数字でしたね。 中国は人の精神や命を何と思っているのでしょうね。臓器売買の発想だけでもおぞましいのに、内政干渉だなんて反発するなんて、なんだかとっても恥ずかしい。 何度も書いてしまいますが、日本の「桜を見る…」の話、ニュースでやる価値もないですよね。オーストラリアで話題になっている中国のスパイによる情報操作の一つでしょうか?映画の見過ぎでしょうか? 今日は、アフガニスタンで希望の光となっていた一つの命が天に召されました。医師の中村哲さん。今日記事を検索していたら2001年10月22日号ですが、「我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。」とありました。犯人はだれかわかりませんが、彼の死が政治利用されませんように。 寒くなってきました。私は少し熱を出してしまいました。ショーシャンクさんのように もう少し健康に気をつけなければ。外は寒いですが、でも、ここ、日本の冬空は、凛としていて美しいですね
 
 
owlさん、おはようございます。
香港人権法案もウイグル人権法案も反対票がたったの1票という圧倒的な支持でした。
こうなると、反対票1票を入れた人は誰かが気になります。
ケンタッキー州選出共和党議員のトーマス・マッシー議員らしいです。
反対する理由は、「マッシー議員はTV取材に、法案の90%に賛成していると強調し、残りの10%、つまり他国への制裁については一貫して反対する姿勢であるため、今回も例外ではないと述べた。」とあります。
ですから実質的には全会一致のようです。
アメリカの民主党は、人権問題に関しては厳しく、世界で人権蹂躙が起きているときには共和党と力を合わせますね。ちゃんと理念があるからでしょう。
日本の旧民主党を主体とする野党は、骨太の理念など全くなく、ただ、どんな些細なことでも延々と取り上げて首相を引きずり下ろしたいだけですので、日本を悪くしています。
中国の人権蹂躙に対して、声を挙げる野党議員が一人もいないのがそのニセモノさを暴露してます。
自民党公明党も全く中国の人権蹂躙に対して何も言いません。
習近平国賓で招こうとしているのですから、もうどうしようもありません。
野党はこういうときにこそ、「酷い人権蹂躙をしている習近平国賓で招くとはどういうことだ。そのような安倍首相は退陣せよ。」となぜ言わないのでしょうか。
そのように言ってくれる党があれば応援しますが、全くないですね。
日本の政治には絶望している状態です。
 
寒い日が続きます。
生の生姜や、甘酒、ココアなどを積極的に取るようにされるといいですよ。
ご自愛ください。
 

シラーの詩

第九の第4楽章は、シラーの詩に曲を付けたものです。ベートーヴェンはどうしてもこのシラーの詩をもとに曲を書きたかったようです。

しかし、第4楽章のシラーの詩は、ほんの一部分にしか過ぎません。

その詩の全文を知らなければ、詩の意味は分かりません。

そして、このシラーの詩の意味が分からなければ、第九の第4楽章に魂の底から感動することはできません。

音楽性で言えば、第九は、第1楽章第2楽章第3楽章が飛び抜けて凄まじい音楽です。私は、あらゆる音楽の中で、第九の第1楽章が最も好きかもしれません。第1楽章を聴いていると宇宙の神秘が明かされるような気がしてきます。

しかし、第4楽章はシラーの詩がメインでありシラーの詩がなければ音楽性では第1楽章第2楽章第3楽章の方が優れています。つまり、シラーの詩の深い理解を伴わなければ、その真価がわからない楽章なのです。

 

シラーの詩の全文を貼ります。他にいい訳があればまた貼ります。

 

 

 

歓喜に寄す (フリードリッヒ・フォン・シラー)

 

1.
喜びよ、美しい神々の閃光よ
楽園の世界の娘よ
私たちは足を踏み入れる、炎に酔い痴れつつ
天なるものよ、そなたの聖所へと
そなたの魔力の力は再び結びつける
世の中の時流の剣が分け隔てていたものを
乞食が王公の兄弟になるのだ
そなたのその柔らかな翼が憩うところで

抱き合おう、幾百万の人々よ!
このキスを全世界に!
兄弟たちよ、星の輝く天幕の彼方に
慈愛に満ちた父が絶対に居るに違いない

 

2.
大きな幸せを得たもの、
ひとりの友の友となり
優しい妻を得たものは
その喜びを共にしよう!
そうだ、たとえたったひとつの魂であっても
自分のものと呼べるものが世界の中にあるのならば!
そしてそれができないものは、そっと出て行くしかない
涙しながらこの集まりの外へ!

この大きな環に住むものらは
共感を尊びはぐくめ!
それは我々を星の世界に導く
あの未知なるもの(主)が君臨しているところへ

 

3.
喜びを飲む、全ての生きとし生けるものは
自然の乳房から
全ての善きもの、全ての悪しきものも
その薔薇の道を追い求めて行く
喜びは私たちにキスと葡萄(酒)とを与えた、
そして死の試練を乗り越えた友を
快楽は虫に(も)与えてしまい(与えられ)
そして天使ケルビムは立っている、神の前に

お前たちはひざまづくことはないのか、幾百万の人々よ?
創造主を感じられるか、世界よ?
彼を星の輝く天幕の彼方に探せ!
星の彼方に彼は必ずや居るに違いない

 

4.
喜びは力強いバネだ
久遠の自然の中において
喜びよ、喜びこそが歯車を回す
その巨大な宇宙時計において
それは花々をつぼみから誘い出し
恒星たちを天空から(誘い出し)
天球を空間で回転させる
予言者の遠眼鏡が知らぬところで

朗らかに、創造主の恒星たちが飛び回るように
壮大な天空を駆け抜けて
進め、兄弟よ、お前たちの行く道を
喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のように!

 

5.
真理の炎の鏡の中から
それは探究するものに微笑みかける
美徳の険しい丘に
それは耐え忍ぶものの道を導く
信仰の輝ける山々の頂には
その旗が風にひるがえるのが見え
砕かれた柩の裂け目からは
それが天使の合唱の中に立っているのが(見える)

耐え忍べ、勇気を持って、幾百万の人々よ!
耐え忍べ、より良い世界のために!
星の輝く天幕の彼方の天国で
大いなる神が報いてくれるだろう

 

6.
人が神々に報いることはできない
しかし神々に倣うのは素晴らしいことだ
悲嘆にくれるものも貧しいものも出てこい
朗らかなものと一緒に喜べ
怒りも復讐も忘れてしまえ
不倶戴天の敵も許すのだ
彼に涙を強要するな
悔恨が彼を苦しめるようにと願うな

貸し借りの帳簿は破り捨ててしまえ!
世界全てが和解しよう!
兄弟よ 星の輝く天幕の彼方では
神が裁く、我々がどう裁いたかを

 

7.
喜びは杯に湧きかえる
葡萄の黄金の血のうちに
残忍なものは優しい心を飲み込み
絶望は勇気を(飲み込む)
兄弟よ、お前たちの席から飛び立て
なみなみと満たされた大杯が座を巡ったら
その泡を天にほとばしらせよう
このグラスを善き精霊に!

星の渦が褒め称えているもの
セラフィムの聖歌が賛美するもの
このグラスをその善き精霊に
星の輝く天幕の彼方にまで!

 

8.
重い苦悩には不屈の勇気を
無実のものが泣いているところには救いを
固い誓いには永遠を
友にも敵にも真実を
王座の前では男子の誇りを
兄弟よ、たとえ財産と生命をかけてでも
功績には栄冠を
偽りのやからには没落を!

神聖なる環をより固く閉じよ
この黄金の酒にかけて誓え
誓約に忠実であることを
これをあの星空の審判者にかけて誓え!

 

9.
暴君の鎖からの救出を
悪人にもまた寛大さを
死の床で希望を
処刑台で慈悲を!
死者もまた生きるのだ!
兄弟よ、飲み、そして調子を合わせよ
全ての罪人は赦され
そして地獄はもはやどこにもない

朗らかな別れの時!
棺衣にくるまれた甘美な眠り!
兄弟よ 優しい判決を
死の時の審判者の口から!

 

 

 

 

 

 

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ショーシャンクさん こんばんは 木曜日から京都 奈良に紅葉狩りに今日帰ってきました。 京都では円山応挙展を観て奈良は春日大社に行ってきました。 今日から師走ですね。 1年経つの早いです。一年の締めくくりは  やはり第九歓喜の歌を聴かないと新年を迎えらレません。 ベートーベンはこの曲を完成したときは、殆ど耳が聞こえなかったのに、あれだけの大曲を作曲した事に神業的な才能を感じます。 第九の第4楽章がシラーの詩に曲をつけた作品だとは知りませんでした。 ご教授ありがとうございます。 又一つ博学になりました。 私的には第九も好きですが月光も好きで実家に帰った時は弾いたりしてます。 今年もタイムリミットに入りました。 明日はお天気が悪そうですが良い日になりますように。
 
 
まりさん、こんばんは。
CDについていた解説の訳では、私の一番好きな部分は
 
歓喜をすべてのものは
自然の乳房から飲む。
すべての良きもの、すべての悪しきものは
その薔薇吹く道をゆく。
それは、われらに接吻と酒をあたえ
死の試練をへた友をあたえる。
虫けらにも快楽はあたえられ
そして天の使いは神の前に立つ!
 
となっています。この訳の方が断然いいですね。
 
この詩の、
folgen  ihre  Rosenspur   を
薔薇には棘があり、茨の道つまり艱難の道を行く、と訳す人もいますが全く違います。
これはやはり、『すべての良きものもすべての悪しきものも、その薔薇咲く道を行く』と訳さなければいけないでしょう。
『虫けらにも快楽は与えられ』を『虫けらには快楽というくだらないものを与えられるが、神の教えを守る天使は神の前に立つのだ』というような解説がありますが、これも全く違いますね。
例えば、こういう解説があります。
『前段の、「自然(歓喜)はキスと葡萄酒と、死の試練を経た友人を与えた」は、純粋に与えられるもの(キスと葡萄酒)と、簡単には手に入らないもの(死の試練を経た友人)という対比の関係があると言える。これと同様に、セミコロンでつながれる、つまり言い換えとしての後半は、「誰にでも与えられる快楽と、畏怖すべき神の世界」という対比が提示されていると見てもよいだろう。これを受けて、シラーの原詩ではこのあとにIhr stürzt nieder(ひざまづくのか?)という表現が続くのだ。ベートーベンがCherubにfsfをつけて強調しているのは、ここを「自然の恵みを受け、地上での幸せは(虫けらも含め万人に)与えられるが、天上の神の前には門を守る天使ケルブが立っており、神の喜びを感じながらもそう簡単にはたどり着けない」と捉えているからではないか。このあとでvor Gottが繰り返されるのは、神にたどり着けない、だが何とかしてそこに行きたいという強い願望の表現ともいえるだろう。』
 
このように解釈しては絶対にいけないと思います。全く分かっていません。
対比とは真逆です。
Wurmは、虫は虫でも蛆虫や毛虫のような軟体の虫のことです。もっとも嫌がられる虫ですね。
これと天使ケルビムを対比しているのではなく、虫けらに与えられた快楽も、神の前に立つ天使の喜びも、宇宙的な歓喜の中では何も変わらないと言っています。
このシラーの詩は、究極のところを歌っているのです。
 
 
 
 
マグノリア (219.62.234.179)  
ショーシャンクさん、みなさん こんばんは。
シラーの詩のアップ、ありがとうございます! 第九はクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」で体感したときの印象が強くて、 これまで詩の全文までは特に注意をはらってこなかったのです。 (そのときに会場に聴こえていたのはフルトヴェングラーによる〈バイロイトの第九〉でした)
 
>対比とは真逆 >宇宙的な歓喜の中では何も変わらないと言っています。 >このシラーの詩は、究極のところを歌っているのです。
ショーシャンクさんによる解釈で、今、自分の内で未完のまま引き摺っていた「ベートーヴェン・フリーズ」の 大きなサークルが完結したように感じます・・
アフガンからの中村哲さん訃報で、気持ちが萎んでいくようだったけど、 少し経ち帰れそうです。 ありがとうございます。
 
 
マグノリアさん、おはようございます。
ベートーヴェンがシラーの詩に強く惹かれていきこの詩に曲をつけたいと思ったのはごく若い時であり、その構想を人生をかけてあたため、晩年に結実したのが第九です。
ベートーヴェンとシラーの詩の出会いにはこのような解説があります。
ベートーヴェンは、「第九」を作曲する際にシラーの詩に出会ったわけではない。もっと若い心を持っていた青年期に、非常に強いイメージで刻まれていたに違いない。また1804年レオノーレのスケッチにシラーの詩「歓喜に寄す」の一節とそっくりの言葉と、「歓喜のメロディー」とが結びついたのはただ偶然にそうなったということではない。
1787年シラーのこの詩がシラーの自費出版の雑誌「ラインニッシェ・ターリア(ラインの美の女神)」第2号に発表された。ベートーヴェンは1789年5月、ボン大学ドイツ文学科の聴講生となり、フランスのバスチーユ占領のニュースがボンに入ったとき有名なシュナイダー教授の熱烈な詩を聞く。そしてシラーのこの詩を読み感動する。
それまでもシラーの書いた劇作はボンでは発表されたその年か、おそくも翌年には必ずといっていいくらい上演されていた。ベートーヴェンはボンのフライマウレルのメンバーとも親しかったので、ほとんど確実に印刷になる前に読んでいたに違いない。
それ以上確かなことは、1792年ベートーヴェンはボンを離れる前に、「この詩の全篇に音楽をつけたい」と言っていたことがシラーの友人でありボン大学の教授となって赴任してきていたフィシェーニッヒがシラー夫人シャルロッテにあてた手紙に書かれている。シラーの発出の詩をベートーヴェンがボン時代に読んでいたということは『第九』の作曲の精神がどこにあったかを考える上できわめて重要なことである。』
 
シラーの詩との出会いから30年かけて第九が完成したということのようです。
それほどまでにシラーの詩に惹かれるものを感じていたのでしょう。
第九は特に第1楽章の音楽性が群を抜いており、第2楽章第3楽章も同じ最高レベルにあるのに、第4楽章のはじめで、第1楽章第2楽章第3楽章と順番に否定していきます。そして、『おお友よ。これらの旋律ではない。もっと心地よい歌を!』とまで言って第4楽章の旋律が始まります。
それだけ、シラーの詩への思い入れが大きいということでしょう。
 
 

フルトヴェングラー 4種の『第九』

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今年もまた、第九の季節がやってきました。

学生の時に、フルトヴェングラーバイロイト盤に魅了されてから、ずっと、バイロイト盤ばかり聴いてきました。CDとしては他の指揮者の第九も何枚か持っていますが、ほとんど聴きません。あまりにもバイロイト盤が凄すぎて、生の第九のコンサートを聴いてもどうしても物足りないというか、批判的に見てしまったりします。

最近、『フルトヴェングラーの4種の第九』というCDが発売されているのを発見しました。バイロイト盤以外の4つの第九演奏のCDです。早速、注文してみました。

商品紹介によると

フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの第9交響曲は、1937年から亡くなる1954年までの17年間に演奏された全曲演奏で13種類の録音がCD化されています。その中でも特筆すべき演奏はつぎの4種。
『ベルリンの第九』として知られる1942年3月のベルリン・フィルとの公演、これは大戦中の緊迫感に満ちた劇的な爆演として有名です。
ストックホルムの第九』は同じく大戦中にストックホルム・フィルに客演、巨匠の手腕を証明する凄演です。
『1952年ウィーンの第九』はムジークフェラインでのウィーン・フィルとの公演、これは宇野功芳氏が『部分的には「バイロイトの第九」よりも上、彼のベストではないか』と評したように、第3楽章など至高絶美の演奏といっても過言ではありません。ターラが夫人所蔵のオリジナルテープから正規盤を発売して有名になりました。2012年には新マスタリングして、開始前の拍手から終演後の拍手まで臨場感たっぷりとCDに収録しています。
そして1954年のルツェルン音楽祭公演、これはフルトヴェングラー最晩年の深い思索と境地を感じさせる感動的名演。夫人所蔵のテープから正規盤を発売、1995年英グラモフォン賞を受賞したターラ栄光の名盤です。
これら4つの演奏が、音質面の評判が高いターラの原盤からCD4枚組のセットになって発売されます。しかもキング関口台スタジオで、全点新たなリマスターが行われており音質にいっそう磨きをかけています。

ということです。

確かに、昔読んだ宇野功芳氏の本には、1942年の『ベルリンの第九』と1952年の『ウィーンの第九』のことが書かれてあったような気がします。それにはウィーンの第九をベストと書いてあったような気がします。

他の音楽評論家の中にも、バイロイトのおとなしい第九よりも『ベルリンの第九』が真にフルトヴェングラーの第九だというようなことを言っていた人がいました。

しかし、なかなか、バイロイト盤以外のCDを聴く機会がありませんでした。

このような4枚組のCDが手に入りましたので、これからの1ヶ月間、たっぷり4種(バイロイト盤を合わせると5種)のフルトヴェングラーの第九を堪能できます。楽しみです。