COVIT-19

マグノリア (219.62.234.179)  

ショーシャンクさん、みなさん こんばんは。 新型コロナウイルスについては連日報道されていますが、感染源の特定も公表されず、肝心の具体的なワクチン開発進捗具合についてもほんの僅かの情報だけですね。 何かがおかしいと感じます。 収束するどころか感染者はどんどん増えていってますし・・ 隔離されてる帰国者や客船の乗客についてのレポートは報道されてますが、まったくと言っていいくらいに無視されてる現場の医療関係者や客船乗務員は、もう体力的にも精神的にもギリギリ極限状況ではと想像します。 政府はたいしたことはないと思い込ませようとしているのでしょうか。 ウイルスはいつ突然変異をするかもしれないのに。
今、『新訳 紅楼夢』を読みすすめています。あと一冊で完結です。 中国の人が『源氏物語』にハマらなかったのは『紅楼夢』があったから、と言われるのも分かる気がします。 あと、文庫本の幸田文の小説『きもの』を合間合間に読んでいます。 主人公の少女の祖母、こういう昔の家庭の中にはいたはずの聡明な老人が消えてしまったこと、身近に人生のパイロットが存在しなくなったことが現代日本人の平俗性を助長してきたのかもしれません。 2月も半ばちかく、街歩きをしているとそこここで蠟梅の甘い香りに出会います。 春も近づきてきていますね。
 
 
 
マグノリアさん、おはようございます。
新型コロナウイルス、今後が見通せないですね。
大したことないと言っている人とこれから大変なことになると言っている人の両極端があります。
中国で起きたことなので、その数字が全く信用できず、実態がわかりません。
検査できずに死亡する人が多くいるらしく、検査してないので新型コロナウイルスの死亡者にはカウントされないとか。
名前が、COVIT-19に決まったようですが、わかりにくいです。もちろん、武漢とか中国という言葉を入れろとは言いませんが、SARS やMERSと新型コロナウイルスが命名されたのですから、WARSあたりがよかったとは思いますが。
 
私は『紅楼夢』は読んだことがありませんので全く筋も知らないのですが、またよいところを教えてください。今の中国と違い、古い時代の中国はよかった気はしています。
 
春はもうじきですね。庭の梅も咲いています。今日もいい日でありますように。
 
 

やはり実験用動物が原因

私は、1月31日にブログに、『新型コロナウイルスは、中国科学院武漢病毒研究所(武漢ウイルス学研究所)の実験用動物が横流しされていたことによって起きたのではないか』という推理をしました。

今日(2月6日)、それを裏付けるような記事が出ました。

 ↓↓↓↓↓

 

新型コロナウイルスの発生源をめぐって、憶測が飛び交っている。湖北省武漢市にあるP4実験室(バイオセーフティーレベル4実験室)からの漏えいを指摘する声が相次いだ。中国オンラインゲーム開発会社、多益網絡股份有限公司の徐波・会長はこのほど、SNS上で武漢市のP4実験室が新型肺炎の「源」だと批判した。

米科学誌サイエンス1月26日の論文によると、最初の感染者は武漢市内の海鮮市場に立ち寄ったことがないという。中国当局は同市場が発生源だと発表している。

徐会長は2月4日中国版ツイッターの微博に投稿し、自身が実名で「証拠を提供する上、中国科学院武漢ウイルス研究所(以下は武漢ウイルス研究所)を告発する」とのコメントを書き込んだ。同研究所は、P4実験室である中国科学院武漢国家生物安全実験室を管轄している。

徐波氏は投稿で、武漢ウイルス研究所が実験用動物の管理がずさんで、ウイルスを持つ動物が市場に出回ったことが新型肺炎の感染拡大につながったと推測した。

同氏は、中国の生物学者で李寧氏が実験用動物を不正に販売した事件の報道を付け加えた。

中国メディアの報道によると、今年1月2日、吉林省松原市中級法院(地裁)は李氏に対して、「横領罪」の有罪判決を下し、12年の有期懲役を言い渡した。同裁判は5年間かかったという。

判決文では、2008年7月から2012年2月まで、李寧氏が研究プロジェクトを通して、勤務先の中国農業大学から研究費補助金を得てから、実験に使う牛や豚を購入したと。その後、同氏が実験を終えた豚や牛、その牛から搾取した牛乳を養豚場などの業者に売却し、収益1000万元(約1億5764万円)余りを着服した。中国農業大学の経費管理規定では、資金が大学側に返金する必要があった。また、李氏は嘘の領収書などを提出して、大学側から2700万元(約4億2564万円)の研究費を騙したという。

しかし、判決文は業者に売られた実験用動物がどのような実験に使われたのか、実験終了後になぜ殺処分を行わなかったのか、また、業者に渡った後の用途について言及しなかった。

 

武漢ウイルス研究所の石正麗は2月2日SNS微信(ウィーチャット)で、「新型コロナウイルスは実験室と無関係であることを命をかけて保障します」と投稿した。2015年、同氏が他国の研究者と共に執筆したコウモリコロナウイルス関する研究論文は国際医学誌ネイチャー・メディシンで発表された。

徐波氏は投稿の中で、「石正麗氏が2015年書いた論文の中で紹介したウイルスが現在の新型コロナウイルスではないとわかっている。しかし、これは中国の研究者が人為的に類似のウイルスを生成していると証明した」「石氏の実験室には、同じようなウイルスがたくさんがあるだろう」「ウイルスの漏えいで今回の感染拡大を招いた可能性が大きい」と書き込み、中国当局に対して武漢ウイルス研究所を徹底的に調べるよう呼び掛けた。

微信ユーザーの「武小華博士」もこのほど、SNS微信(ウィーチャット)に投稿し、「実験室の管理が非常に粗雑だ」と指摘した。「実験用動物、例えば犬をペットとして転売している。医療廃棄物の火葬は経費が高くなるから、動物の遺体をいい加減に処分する。さらに、野生動物として売ったりすることもある。SPF鶏の卵をゆでて食べる研究員も、実験用豚を殺して食べる研究員もいる」という。

人工的にエイズウイルスを挿入

インドの研究者の英語の論文(Uncanny similarity of unique inserts in the 2019-nCoV spike protein to HIV-1 gp120 and Gag)によると、コロナウイルス(正式名称:2019-nCoVウイルス)表面のSタンパク質(スパイクタンパク質)の中の非連続的な4つの場所にはHIVウイルスのアミノ酸配列が挿入されていた。Sタンパク質の3次元構造を見ると、この4つの挿入物は、動物の細胞膜上のウイルス受容体と相互作用することができる。つまり、2019-nCoVウイルスの感染性はHIVと同じであり、その毒性は依然としてコロナウイルスによって決定される。これらの4つの挿入物は、他のコロナウイルスには存在しない。このような巧妙な突然変異は、自然に発生する可能性がなく、人工的に設計されたものでしかありえない。

  ▼▼▼▼▼

新型コロナウイルスのタンパク質は、 SARS と最も近い祖先を共有しているため、その2つのウイルスのタンパク質をコードする配列を比較した。そうしたところ、新型コロナウイルスから、SARS ウイルスにはない、以下の 4種類のタンパク質の挿入が見つかった。

「GTNGTKR」(挿入1)
「HKNNKS」(挿入2)
「GDSSSG」(挿入3)
「QTNSPRRA」(挿入4)

驚いたことに、挿入しているこれらの配列は SARS ウイルスのタンパク質に存在しなかっただけではなく、コロナウイルスの他の種にも見られないものだった。

ウイルスがこのような独自な挿入を短時間で自然に獲得することはほとんどあり得ないため、これは驚くべきことだった。

この 4種のタンパク質の挿入は、最近の臨床患者の分離株から入手可能な新型コロナウイルスのすべてのゲノム配列に存在することが観察された。

これらの挿入源を知るために、さらに解析を進めると、予想外に、すべての挿入がヒト免疫不全ウイルス-1(HIV-1)と一致した。

                    (インド工科大学の論文より)

  ▲▲▲▲▲

 

 

 

この記事を読んでも、武漢肺炎は、人工的に作られたものだとしか思えません。

しかも、非常に悪質です。

新型コロナウイルスには4種類のエイズウイルスが挿入されているとのことです。

エイズとは後天性免疫不全症候群のことで、つまり人間の免疫力をなくしてしまう病気のことです。

エイズウイルス(HIVウイルス)を意図的に挿入したということは、人間の免疫自体をなくしてしまおうとしたということですから、これほど悪質なことはありません。

 

これまでのところ、私の推理を裏付けるような情報ばかり出てきています。

 

一度かかっても、免疫が作られない病気というのは、あまりにも怖ろしいものです。

 

 

麒麟がくる 3話

id:owl22  

ショーシャンクさん、 こんばんは。 中国のこれまでの記事とショーシャンクさんの推理、ありがとうございます。中国に行ったこともないのですが、読んでみて、自分のなかでやっと、すーっと納得がいきました。 中国の人が『飛ぶものは飛行機以外、四つ足は机以外なら何でも食べる』と言われてる、というのは、びっくりしました。今の時代も食べている(SNSから)というのも驚きました。 あと、私がいつも中国で気になるのが、どんよりとした空です。今調べたら大気汚染度は日本は10~20、北京は45、ニューヨークは70ですが、武漢はなんと149(!)です。中国は大きな国際会議が行われるときだけ車や工場稼働を制限して空を綺麗にするらしいですね。空が汚いことが悪い、ということは知っているようですね。 いままで空を曇らせるほどに、自然や他地域の人々を愚弄し、今回のコロナウィルスでは、12月にわかっていたとすれば隠蔽した政治家の倫理観の欠如に、やりきれなくなります。早く武漢の人達が解放されて治療を受けられますようと祈るばかりです。 ところで、今日『麒麟が来る』3話を観ました。緑が濃すぎて、アニメチック?に見え気になりました。ブルーも濃いと思います。 ショーシャンクさんはどうご覧になりましたか? 第3話は、あの色が今後も続くと思うと少々興醒めしてしまいますが、NHKはこの頃迷走していますよね。西郷ドンは良かったのですが。何か新しいテクノロジーを使ってみて新しいことに挑戦したいのはわかるのですが。 2月に入りましたが、暖かいですね。桜の開花も早まるのでしょうか?楽しみですね。 今週も「好日」が続きますように。
 
 
owlさん、おはようございます。
『麒麟がくる』3話見た時点で言いますと、まだミスキャストとは判断できませんが、多くの配役が私のイメージとは全く違うので、違和感だらけです。
このドラマでは、帰蝶(濃姫)と京の町医者の助手の女性、この2人が後々まで重要な柱になっているようです。
しかし、この2人とも線が細く演技が下手です。
帰蝶は、急遽の代役なので仕方ないと言えばそうですが、あまり有名でなくてももっと線の太い人はいただろうに、と思います。
町医者の助手は、生い立ちからしても、もっと雑草のような生命感のある女優のほうがふさわしいとは思います。
濃姫も斎藤義龍も、明智光秀の幼なじみに設定されているようで、光秀の前半生は全く記録が残っていないことから脚本でどのようにも描けるのですが、義龍は、斎藤道三という実質的な美濃の支配者の嫡男ですから、光秀のタメ口は違和感だらけです。
光秀は、教養人ですから、そのような伝統的な秩序は人一倍大事にしたのであって、そうであるから融通が利かないところが多分にあったように思えます。
この脚本はどのような光秀像にしようとしているかがつかめません。
 
おっしゃるように、衣装デザインの人も、あまりにも自己主張がありすぎででしゃばりすぎです。
農作業をしている光秀、その畑の緑の中に溶け込ませるように、光秀の服だけを鮮やかな緑にしています。農作業をしている最初のシーンを見ると、周りの緑に溶け込ませようとする意図がよくわかります。しかし、あざといです。
農作業している他の人は赤や黄色ですが、どれもまぶしいほど鮮やかです。
農作業をするのに、わざわざこのような発光染料の服を着てすることはいつの時代にもありません。
衣装デザインの人が目立とうとするドラマというのは初めて見ました。
 
3話にして、すでに最終回近くの本能寺の変の様子が見えてきましたね。
帰蝶(濃姫)が『光秀と双六をして光秀は51回続けて負けた』という幼いときの話をします。
これが後々、光秀のいざというときの勝負弱さを暗示しているのでしょう。
多分、このドラマでは、本能寺の変のとき、濃姫も信長といっしょに本能寺にいることに設定されるはずです。
そのときに、この双六の話を濃姫は思い出すというシーンになるはずです。
 
今のところ、批判的になっていますが、これから盛り上がることを期待します。
 
今週もいい週でありますように。
 
 
 

武漢肺炎の真相とは(推理)

新型肺炎(武漢肺炎)について様々な憶測がありますが、今の時点での私の推理を書きます。あくまでも個人の推理にしか過ぎませんので信じることはありません。

ただ、中国人が取る行動としてはこの経路であればつじつまが合います。

 

武漢に中国の生物兵器研究所がありそれから流出したという噂がありましたが、しかし、そのような研究所はウィルスが流出しないように管理されているのでそういうことはあり得ないとされています。

 

さて、真相はどうなのでしょうか。

こういう記事がありました。

中国科学院武漢病毒研究所(武漢ウイルス学研究所)に関する記事です。

1. 武漢ウイルス研究所は、中国の最高のウイルス学および免疫学の専門施設のひとつであり、中国の最高のバイオハザード研究所である。

2. その施設の科学者である周鵬氏は、致命的なウイルスを運び伝達するコウモリの免疫機構を2009年から研究している中国の著名な科学者のひとりだ。

3. 周氏の主な研究分野は、エボラ、SARS、コロナウイルスなど、この世で最も病原性の高いタイプのウイルスをコウモリに感染させる方法とそのメカニズムを研究することだ。

4. 周氏はさまざまな免疫経路を遺伝子工学的に操作して、コウモリが感染しやすくなるようにし、その過程で潜在的に超耐性の病原体を作成した。その研究の中には、ウイルスの感染に対する生体防御機構において重要な役割をはたすタンパク質である STING 経路などの免疫経路の遺伝子操作も含まれる。

5. 周氏は、研究の一環として、自然免疫を克服したコウモリの変異したコロナウイルス株を研究した。これは「スーパー病原体」としてのコロナウイルス株であり、つまり、これらのコロナウイルスには、自然免疫の経路に耐性がない。これは現在世界に拡大しているコロナウイルスとよく似ている。

6. 11月中旬の時点で、周氏の研究室は、スーパーコロナウイルスとコウモリの感染症に関する研究の実施を支援するために、経験のない研究員たちを積極的に採用していた。

7. 周氏のウイルス学およびコウモリの免疫学に関する研究は、国立優秀青年基金、中国科学院、科学技術省の主要プロジェクトから資金援助を受けている。

 

この周氏の論文は、主にコウモリ起源のコロナウイルスに関するものです。

 

これからは私の全く根拠のない推測になるのですが

この研究所では大量のコウモリなどの野生生物で動物実験しているはずです。

実験した後の動物を研究所のスタッフの誰かが、武漢海鮮市場で売りさばいていたのではないかと思います。

中国社会においては横流しは普通に行われていますし、動物の焼却処分を任されていた人が市場で売って私腹を肥やしていた可能性があるような気がします。

 

ですから、武漢海鮮市場からウイルスが発見されているのだと思います。

 

 11月中旬の時点で、周氏の研究室は、スーパーコロナウイルスとコウモリの感染症に関する研究の実施を支援するために、経験のない研究員たちを積極的に採用していた。』と言う記事の『経験のない研究者たち』というのが怪しいです。

経験がないのですから、実験用動物の調達や動物の焼却処分などの雑用をしていたか、あるいは・・・ですが、いずれにせよ、新しい人たちが採用された時期が11月中旬でコロナウイルスの発祥はたぶん12月とされていますので、時期的にはぴったり合います。

 

推測にしか過ぎませんが、あり得るかなと思っています。

 

 

 

id:mariy22  

ショーシャンクさん こんにちは 今日は東京は良い天気ですが株式市況は大荒れ暴雨風 月曜日はブラックマンデーでしょうか? 原因は中国 実験に使ったコウモリを海鮮市場で売るなんて言語道断 一般常識を疑います。 武漢の市長が初歩ミスを認めましたが後手後手 今更と感じます。 この方もはてなマークなんですがWHOのテドロフ事務総長の発言緊急事態の宣言を擁護発言「過去にないほど素晴らしい対応、海外は感染抑制に感謝すべき」 これだけ世界中拡散させた中国私は中国政府は責任を少しは痛感すべきと思いますが感染抑制に感謝すべきとの発言理解できません。 中国の人の海外渡航を中国政府早い時期にストッパーをかけるべきだったのではと思います。 中国はもしかしたら10万人以上の感染者がいるかもと思うのですが……。
 
 
まりさん、こんにちは。
実験済の野生動物を焼却処分せずに市場に横流ししていたのでは、というのは、ただの私の推測にしか過ぎません。
しかし、そうであってもおかしくないなとは思います。
 
いま、陰謀論も出回っていますね。
私は陰謀ではないと思っています。
 
アメリカが中国共産党政府を転覆させようとして、ウイルスをばらまいたという説がありますが、これはないですね。
何故なら、もし共産党政府を倒すのであれば、首都の北京でするはずです。地方都市に過ぎない武漢を狙っても、効果がないのでやらないでしょう。
 
中国政府の幹部のうち、習近平の反対派が仕掛けたという説もありますが、これもするのであれば北京でするでしょうから違うと思います。
 
国際金融資本が仕掛けたという説もあるようですが、やはり武漢にする意味がありません。大きな影響を与えたいのであれば上海でするでしょう。
 
 
陰謀ではなく、中国で横行する横流しが原因だと考えたほうがつじつまがあいます。
武漢という都市で起きたというのがやはり謎を解くカギで、それは、コウモリ由来のコロナウイルス研究の中国トップである研究者と研究所が武漢にあったからと考えざるを得ません。
 
しかし、そこで生物兵器を作っていて、ミスで外部にウイルスが漏れたという説は、海鮮市場でウイルスが見つかっていて主たる感染源である説明がつきません。
また、レベル4の最高度にウイルスを保管している研究所ですから、ミスで漏れる可能性は低いですし、もしそうならその研究所が感染源となっているはずです。
 
とはいっても、個人的な推測にしか過ぎませんが。
 
東京は、中国人観光客が最も多いところですから、マスク、うがい、手洗いをして、それに発酵食品を食べ、腸活をして免疫力を上げて、新型肺炎にかからないように気をつけてください。
 
 

 

 

武漢肺炎、情報の錯綜


コロナウイルス震源地武漢から命がけで上げた動画 「和訳」


湖北封15城,12省區一級響應!武漢「估計十萬病人!」護士嚎啕「頂不住」市民下跪求救,物價幾十倍漲,北京一派歌舞昇平!【新聞看點】(2020/01/24)


【解讀】500萬人逃離武漢 武漢肺炎疫情高峰即將出現;中共維穩助長病毒蔓延|世界的十字路口 唐浩

 

 

どうも武漢肺炎は大変な状況に向かっているかもしれません。

武漢のある湖北省は人口4000万人です。

湖北省では武漢だけでなく15都市が封鎖されているとのことです。

これは武漢封鎖だけではどうしようもなかったことを示しています。

さらにまずいことに、封鎖直前に、武漢の人500万人が中国各地または外国に移動しているということです。

春節で故郷の家族たちと過ごす風習があるため、武漢から逃げ出したわけではなく自分たちの故郷に帰ったためと考えられます。

移動した武漢の500万人は、そのクレジットカード履歴などから追跡すると、中国全土に散らばっているようです。

すでに10万人以上が感染しているという噂も嘘とは思えなくなりました。

 

特に中国人観光客が多い、東京、大阪、京都、福岡などに住まわれている方は、マスク、うがい、手洗いを今まで以上に徹底した方がいいです。

 

この1日で、感染者の疑いのある人が一気に3806人増えて5794人になったとか。

この数字は確定的な感染者では無いとは思われますがよくわかりません。

 

これまでは、感染者は1日に40%ずつ増えていました。

この40%という数字が、上に行くか下に行くかを注視しています。

増加率が下がっていけば収束に向かっていると言うことですし、増加率が上がればこれはパンデミックに向かうということだと思います。

もし、3806人増えて5794人になったのが感染者であれば、これは非常にまずい状況に向かっているとみなければならなくなります。

情報が錯綜してますので、慎重に見ていきたいと思います。

 

 

前に下の記事をブログに挙げました。

 ↓↓↓

 

新型コロナウィルス、今まで致死率は3%と発表されていましたが、中国のTwitterに次のような速報が上がっていました。(真偽はわかりません)

 

王定宇臉書寫「武漢肺炎」目前經過專家調查,傳染率高達83%,致死率上調至15%,每位帶原者可以傳2-3人,目前中國封城的區域,染病人數應該遠遠超過中共官方數字。

 

翻訳すると

武漢肺炎の最新の専門家の調査では、感染率は83%と高く、致死率は15%に増加しました。病原菌を持っている人は、2~3人にうつしていて、封鎖されている地域では、感染者数は中国政府が発表しているよりはるかに多いです。

でしょうか。間違っているかもしれません。

 

このTwitterを上げた人のコメントです。

【速報】中国と香港の最新発表、コロナウイルスの致死率は15% 感染率83% に更新した。このデータでは 人類史上最凶のウイルスです。 多分一週間後にWHOと厚生労働省が中国政府を追いかける更新します。

 

  ↑↑↑

 

この記事を否定する記事が出ましたので、挙げておきます。

 ↓

引用元となっている中国語ツイートのソースになっているのは、台湾のニュースサイト。たしかに、そのサイトには「中国と香港の最新の調査:武漢肺炎の死亡率15%、感染率83%」と書かれている。

このニュースで言及されているのは、イギリスの医学誌「ランセット」に掲載された中国と香港チームの論文だ。しかし、いずれも前提条件があり、その数字を一般化できないことに留意が必要だ。

「ランセット」の論文を見ると、「死亡率15%」とは武漢で2020年1月2日までに入院した重症患者41人の間での死亡率のことだ。感染者全体の死亡率ではない。

41人は全員肺炎を発症しており、うち13人がICUに入り、そのうち6人が死亡したことから「致死率15%」という計算になる。

また、「感染率83%」は、「ランセット」に掲載された、ある家族での親族間の感染率に関するデータをもとにしている。

 ↑

 

つまり全くのデマというわけではないですが、ごく初期の重症者のデータですから致死率が高く出ているようです。

文章のニュアンスでは、今まで3%と低かった数字が15%にあがったと捉えられるような書き込みでした。

情報が錯綜していますが、致死率はまだ低いままのようです。

麒麟がくる 2話

今日の麒麟がいくラストシーンで斎藤道三が娘婿を毒殺するシーン迫力ありました。 平然と殺す少し戦慄が走りました。 長谷川博已私もこのドラマを観て好きになりました。 荒々しい明智光秀をイメージしてましたので長谷川博己の明智光秀はソフトな人間味を感じます。 これからどんなドラマに展開していくのか楽しみです。
 
 
『麒麟がくる』、斎藤道三が本木雅弘だったのは意外に感じましたが2話では凄みが出ていてミスキャストではないようです。
戦国武将の中で天才中の天才は斎藤道三でしょうね。
楽市楽座など織田信長は斎藤道三の真似をしただけです。
斎藤道三は発想力が凄く、もし、織田信長のように生まれたときから1国の領土を持っていたら、天下を取ったでしょうね。
 
明智光秀は、私のイメージでは、色白で物静かで教養があって実務の才能も抜群で責任感がある分自分で自分を追い詰めてしまう感じです。
ですから、1話も2話も、元気で自己主張もどんどんしているのが私のイメージとは違いました。
ただ、斎藤道三も本格的に出てきて、だんだん面白くなってきたと思います。
 
しかし、濃姫(帰蝶)は沢尻エリカで見たかったです。1話2話では、代役の川口春奈は緊張しているのか、間がなく演技が下手でした。緊張している濃姫など見たくないですね。これから慣れていってくれればいいのですが。
沢尻エリカの濃姫は間違いなく後々に語り継がれるはまり役になったと思いますのでこれは残念です。

武漢肺炎


武漢新型肺炎 突然意識がなくなり バタンと倒れる人が急増|新型肺炎|新型コロナウイルス|中国NOW

id:mariy22  

ショーシャンクさん こんばんは コロナウイルス致死率15㌫だんだんとウイルスが耐性化してますね。 もうあちこちの国に拡散され、一種の生物兵器だなと考えてしまいました。 オリンピックが心配です  Bloomberg Newsで 患者の治療計画に、ロピナビルとリトナビルの配合剤であるカレトラを含めたことを明らかにしたとニュースになってます。 効果があれば良いなと思います。
今日の麒麟がいくラストシーンで斎藤道三が娘婿を毒殺するシーン迫力ありました。 平然と殺す少し戦慄が走りました。 長谷川博已私もこのドラマを観て好きになりました。 荒々しい明智光秀をイメージしてましたので長谷川博己の明智光秀はソフトな人間味を感じます。 これからどんなドラマに展開していくのか楽しみです。
 
 
まりさん、おはようございます。
コロナウイルスに関しては、情報が錯綜していますし、出ていない情報も膨大にあるでしょう。
医療に詳しい人たちも、見解が全く分かれていますね。
今回の新型肺炎は、SARSや鳥インフルエンザよりも致死率がずっと低く、普通のインフルエンザよりも感染力が弱い、だから、今ネットで言われているような大げさなものではなく、すぐ収束に向かう、、、と言う人もかなり多いです。
特に、SARSの時のように何ヶ月も隠蔽されていて対策が遅れに遅れた時と違い、すでに原因をコロナウイルスと特定できているのだから、SARSのような被害にはならないと言われています。
しかし、一方で、感染者はすでに10万人を超えているとまでいう人もいてどちらが本当かわからない状況です。
普通に立っている人が突然倒れる動画などを見ると、今までの肺炎のイメージからはほど遠く、何か怖ろしいことが起こっているような気もします。
慎重に予防対策をしていきたいですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

麒麟がくる

owl22 (106.156.113.172)  

ショーシャンクさん、おはようございます。   私もフランスでクジラを食べることを指摘された時、(フォアグラはどうなの?)と思いましたが、ネズミとか、犬なんて嫌悪感マックスです。肉まんも吐き出して本当に良かったですね。時に食用生き物の線引きに疑問をいだきますが、「命をいただきます」、感謝だ、と心に押し込み考えないようにしています。でもまだ放牧のかわいい牛をみて美味しそうとまでなかなか言えないですね。 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が、とうとう始まりましたね。西郷どん以来の歴史大河。ほっとします。 緑が鮮やかで一瞬違和感がありましたが、観ているうちにかえって綺麗に感じるようになりました。色の効果も狙っているのか赤が特にきれいだと感じます。 主演の長谷川博己は、彼の今までの優しい印象プラス、信念を持ち、未来に前向きな印象で、明智の歴史的な最後ばかり頭の中あったのが、それをを拭ってくれ、とても好きになりました。やはり信念を持った人が未来をどう切り開いていくのか、とても楽しみです。 最近ゴーンやトランプのようなパラノイア気質の人に辟易していたので、これをみて 上に立つ人男性への見方をすっきりさせたい(笑)という願いもあります。 以前のご投稿になりますがフラッシュダンスの歌のご紹介、ありがとうございました。 Pictures come alive. (絵に描いたものが実現する)→「ステップを踏めば 人生は光り輝く人生は光り輝く」 引き寄せの法則を思い出しました。良い絵を描いていきますね。 今日も「好日」でありますように。
 
 
owlさん、おはようございます。
何を食べるかは食文化の違いと割り切れないものがありますね。
犬の肉を食べる韓国や中国をどうしても嫌悪してしまいますし、鯨やイルカを食べる日本人を西洋人は嫌悪するでしょう。
中国人の食に対する貪欲さは凄いですね。『飛ぶものは飛行機以外、四つ足は机以外なら何でも食べる』とまで言われている中国人ですから、何でもありです。
中国人はカラスは食べないのでしょうか。日本のカラスを全部食べてくれるとうれしいとカラス嫌いの私は思います(笑)
 
大河ドラマ『麒麟がくる』始まりましたね。
ティム・バートンの映画のような色彩の鮮やかさにはとまどいました。
農民の服までカラフルで、染料がとんでもなく高価な時代、とくに鮮やかな赤やピンクなどにはなかなか染められない時代に、とは思いましたが、明るい画面は好きなので、ありですね。
私は明智光秀が大好きで、その絵像から、色白で教養人で誠実で、でも線が細くて、というような人物を想像しているのですが、1話ではちょっとイメージとは違いました。
しかし、『麒麟がくる』という題名に秘められたドラマの意図は、平和な時代が来た時にだけ現れるという麒麟、その麒麟がくる時代を誰が作っていくのか、ということだと思います。そして、それぞれの人たちがそれぞれの立場から、麒麟がくる時代を切り開いていく群像劇なのだと思います。
それは戦国大名だけでなく、町医者の助手の女の子も、あるいは堺の商人たちも、夢のある人はみんなということだと思います。
そういう視点から見ていこうと思っています。
 
 
 

武漢

id:mariy22  

ショーシャンクさん こんばんは コメントの欄が表示されてました。 お手数おかけしました。 今回の新型肺炎の媒体はコウモリだったとか? 香港に行った時生まれたてのネズミが食用として元気が出るとかで売ってた事にビックリした思い出があります。 野生動物を人が食べ病気のウイルスを貰うケースが多々エボラ出血熱も猿が媒体でした。 今回のコロナウイルス各国に飛び火収束するまで 時間かかりそう。 国が違うと食文化も異なりますね。 アメリカの人は鮮魚のお刺身食べませんし鍋物を多くの人と箸で囲んで食する事も嫌います。 今ニュースでシンガポールでも感染者が出たとか。 春節の終わった後、日本に新型肺炎罹患者が出ない事を願いたいです。
 
 
まりさん、こんにちは。
中国には困ったものですね。何でも食べますからね。
今回のコロナウイルスは武漢で発生しています。
そういえば、武漢は非常にやばいところでした。
列車で武漢に旅したとき、昼食を列車の食堂車で注文していたのですが料理が遅れに遅れて料理が出る前に武漢に着いてしまったのです。
もう午後2時を過ぎていて、その頃はその時間帯街のレストランは開いていませんでした。
仕方なく町中で売っていた肉まんを食べようとしたのですが、一口食べて全部吐き出しました。今まで食べたことのない肉で、なんとも気持ち悪かったのです。
それが何の肉だったかはいまだにわかりませんが、今回のコロナウイルスの記事を見ると、生鮮市場で日本からするととんでもない動物が売られています。
武漢の肉まん、吐き出して本当によかったと思います(笑)
 
武漢は古い街で、ホテルも格式がありそうな古い建物でしたが、しかし全体に薄暗く、幽霊が出そうなところでした。
いまは武漢も近代的にはなっているのでしょうけど、コロナウイルスの発生地になってもおかしくないとは思います。

コロナウイルス

私のブログへのコメントは今まですべて本文に載せていますので、コメント表示をすると重複してしまって見づらいと考え、ブログのデザインを変えたときに、【コメントを表示しない】設定にしていました。そうすると、【コメントをする】ボタンまでなくなってしまって、コメント自体ができなくなっていたようです。すみません。

【コメントをする】ボタンを復旧しました。

 

ブログ『株についてのひとりごと』で書いたのですが、気になる記事がありましたので、ここでもコロナウイルスに関して注意喚起をしておきます。

 

今週の土曜日、つまり1月25日から春節です。

春節の中国人の旅行先人気ナンバー1は日本です。

多くの中国人が日本に来ます。

一気に日本に広まる可能性もあります。気をつけましょう。

下の記事にありますように、現場の医師の肌感覚では、感染規模はもうすでに2003年のSARSを超えているそうです。

 ↓↓↓

 

21日には、武漢市の医師が、次のような意味深のメッセージをアップさせた。

<私は現在、もう2週間も残業づけの日々を送っている。昨日からようやく、世論は少し緊張しだした。だがわれわれが了解している状況は、一般の人々が最悪の事態と考えているものよりも、さらに深刻なのだ。

 鐘南山院士はメディアで、比較的穏当に述べた(1月20日に、かつてSARSと戦った元広州病院長の国家衛生健康委員会・鐘南山院士、84歳が、中央広播電視総体のインタビューに答えた)。だが彼は、武漢に視察に来た後、『直ちに武漢全体を封鎖すべきだ』という意見を述べたのだ。この意見を国務院は否決してしまった。

 私は毎日、大量の発症者と思しき患者を診察している。だが患者の数が多すぎて、とても収容しきれない。何せ隔離病棟は2棟しかないのだ。加えて、医療スタッフの一部も感染し、戦線離脱となってしまったが、その代役もいない。

 今回の新型コロナウイルスの特徴は、2003年のSARSに較べて潜伏期間が長いことだ。平均で9日間もある。しかも微熱だったり、発熱しない患者もいる(私は自分が診察している通りのことを話している)。

 武漢の人口(約1100万人)や、交通の要衝であることを考慮すると、すでに中国全土の都市にあまねく、患者は広がっているはずだ。それを報道するかしないかという問題だ。

 私の個人的な感触では、実際の感染規模は、2003年のSARSをすでに超えている。致死率のデータも曖昧になってしまっているようだ。いまは病毒が、さらに突然変異しないことを願うばかりだ>

 

 

今のところ、感染力はインフルエンザとそれほど変わらないらしく、インフルエンザの予防対策で十分防げるようですので、マスク・うがい・手洗いはした方がいいと思います。

すべてはメンタル

たーぼー (126.182.122.186)  

ショーシャンクさんこんばんは。 まずは私は一つずつステップを踏んでいくべきだと思うんです。泡のように見る状態にしたいんです。 今の状態は、平等と差別がはっきり分かれてしまっていると思うんです。どうしてかと言うと体に気が溜まってないからだと思うんです。ショーシャンクさんが書いてくれたこれが大事だと思います。これが道だと思います。常に心を一定の状態に平静に保ち続ける道。まずこれをしばらくやって様子みます。 あと記憶のdeleteも出来るだけやってみます。 株で一儲けしたいなぁ(笑
 
 
たーぼーさん、おはようございます。
人生はメンタルがすべてです。
ほとんどの人の人生がうまくいかないのは、ひとつにはとりとめのない想念ばかり出しているからであり、もうひとつは他人にばかり動かされているからです。
この2つはお互いにリンクしています。
とりとめのない想念しか出さないというのは、自分でこの想いを出そうとする『主体的な想い』がないからです。
他人の言ったことや他人の目ばかり気にして右往左往する人は、他人の思惑などどうでもいいという主体的な想念を出すことができません。
 
主体的な想念を出そうと思えば、まずはテレビのつけっぱなしはやめることです。別に見たくもないテレビを眺めているという行為は、その人の思考をとりとめのないものにしてしまいます。テレビは次から次へと、視ている人の興味を引くような話題や映像を流していきます。話題のテーマもめまぐるしく変わっていきます。テレビを受動的に視ている人は、コロコロ変わっていくテーマにごく浅い反応をし続けることになります。深く考える時間など有りません。考えようとすれば全く別の場面に切り替わっています。こうやって、ふわふわとしたとりとめのない想念しか出さない人が大量に増殖していきます。
私はテレビ番組を1分も見ません。ワイドショーもニュースも見ません。テレビのニュースなどスポンサーの意向通りに編集されているものばかりです。
評判になったドラマはアマゾンプライムやDVDBOXで一気に全話見ることはありますが、リアルタイムでは見ません。今年の大河ドラマは一年ぶりにリアルタイムで見るかもしれませんが。
 
今の仏教からは考えられないでしょうけど、歴史上の仏陀=ゴータマ・シッダッタが本当に言いたかったことは、他に依存せず、従属せず、動揺しないことです。自らの主体を確立することです。島を、州を、確立することです。
それが今の仏教では真逆になっています。
 
人生と同じく、株もメンタルがすべてです。
私が勝手に想像しているところでは、株をやっている人の、30%が大負けをして財産の多くを失っていて、40%がそこそこ負けていて、28%がそこそこ勝っているかトントンで、2%の人だけが大勝ちしている感じです。
なぜほとんどの人が負けるか、トントンで勝てないか、というと、主体性がなく相場に振り回されるからです。
暴騰すると焦って買いに殺到し、暴落すると怖ろしくなって売りに殺到します。こういうことを繰り返しているとすべて財産を溶かしてしまいます。
 
環境や目先の現象に振り回されるようなメンタルで人生に臨むと結果は悲惨です。
 

世界は自由に向かう

たーぼー (126.182.122.186)  

ショーシャンクさんおはようございます 私もこの世界はどんどん良い方向に、自由な方向に向かっていると思ってます。 この間ユーチューブで凄い面白い動画を見ました。 第二次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争空爆を時間を同じにして、どのくらいの激しさだったかという動画だったんですが、明らかに人間の進化を感じさせるものでした。 第二次世界大戦の頃の空爆は、戦闘員、非戦闘員関係なく、空爆場所も軍施設、民間施設関係なく手当たり次第って感じで酷いもんでしたけど、それが朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争と最新の戦争になるにつれ空爆場所を限定し、空爆対象者を限定して、その限定の仕方が厳密に厳しくしていく様がはっきりわかりました。 空爆の頻度が最新の戦争になればなるほど少ないです。 確かアーミテージの発言だったと思いますけど、第二次世界大戦からアメリカが戦争で勝てなくなったのは、空爆に気を使いすぎて徹底的に無慈悲にやらないからだという言葉にも、個人的には酷い発言だと思うんですが冷徹な真理を突いてるなと思いました。 韓国との慰安婦問題にしても、あの当時は日本でも身売りや人身売買などの問題があって、その時代の時代背景も考慮しますと今はいい時代になったなぁと改めて思います。 ですから絶対精神とは唯一意識であり、その本質は自由であり世界はどんどん自由になっていくというのは、私も頷けます。 しかし、一個疑問があるのは歴史とは古代から続いていくわけで、古代は平和だったわけです。 別に国を作る必要もなく、国境さえなく軍隊で守る必要もなかった。 歴史を振り返ってみると、第一次世界大戦から第二次世界大戦までは、明らかに絶対精神とは逆方向のベクトルが働いている様に思うのですが、これについてはどう考えますか?
 
 
たーぼーさん、おはようございます。
世界は絶対精神の本質である自由に向かっています。
古代が平和であったというのは幻想です。
人口も増え、文明が発達して兵器も高度化大型化になりましたので、近年になればなるほど戦争は大規模なものにはなっていますが、古代にもむごたらしい争いや戦争はあり、何より、戦争で負けた側の男たちは奴隷となり、女性たちはレイプされたり略奪されたりすることが通常のことになっていました。ユダヤ人もエジプトで奴隷とされていたからモーゼが出エジプトユダヤ人を奴隷の身分から解放したのです。
日本の弥生時代でも『とくに強烈な印象を残すのは、前述の青谷上寺地遺跡でも見つかった、殺傷された証拠を残す人骨である。神戸市の新方遺跡の墓地では、1列に葬られた男性3人の遺骨の中から、それぞれ石鏃が見つかった。そのうち壮年から熟年のたくましい男性は、頭から胴と腕にかけて、17個もの鏃を射ち込まれていた。いろいろな方向から弓矢で集中攻撃されたらしい。奈良市の四分遺跡の例もすさまじい。1つの木棺に一緒に葬られた若い男女の遺骨のうち、女性のほうは胸の部分に石鏃が1本。男性のほうは、背中や腰の左右から、鉄の武器で刺されたり切られたりした傷が数カ所、左の肩甲骨や左右の腸骨にある。さらに左の目あたりが鋭利な凶器で骨までざっくりと削られている。』というように、古代でもむごたらしい争いはありました。
第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、負けた国の男たちが奴隷になり女性たちが公然と連れ去られるということはありませんでした。部分的に戦争犯罪は起きたとしても。
『自由』という観点からすると、確実に世界は自由に向かっています。
ヒトラーユダヤ人迫害、中国共産党ウイグル人迫害など逆行する動きが出てきたとしても、それらの逆行は大きな流れの中で崩壊していくと思います。
 
 

過去の記憶の束をDeleteすること

たーぼー (126.245.53.6)  

ショーシャンクさんこんばんは。 私は欠乏感で一杯だったから貧乏だったのか(笑 言われてみればそんな感じします。 楽しんでこの世界を創造するっていいですね。 壮大な気持ちになって、小さな事は気にならなくなります。 ショーシャンクさんはまだ精神が常時無量ではないと おっしゃってましたが、具体的にどの位の頻度で無量になりますか? おそらく無量になる時は、性欲が昇華される時だと想像しますが、1日のうちとか1週間のうちとかで頻度(時間)を知りたいです。 無量ではない時は、泡のように見るような状態でしょうか? それとも凡夫のように、自他の分別がはっきりして、世界がはっきりある感じになる時もありますか?
 
 
たーぼーさん、こんにちは。
私が歴史上の仏陀の真意を探求してきて、仏陀が言っていることは今までの仏教が言っていることと全く違うものだということに愕然としています。
もっとも重要なことがすっぽり抜け落ちています。
それは、中心の成り立ち、自我の成り立ちを徹見することです。自我という中心がどのようにして構築されてきたかを洞察することです。
(実はその洞察こそ十二縁起の本質なのですが、十二縁起の決定的な解釈については自費出版で書くつもりです)
中心の成り立ち、その中心こそ矢です。
その矢には三毒という毒が塗られています。
毒矢です。
その自我と言う中心は記憶の束によって構成されています。
中心があると無量ではありません。
厳密には中心たる記憶の束をdeleteしなければ、無量には達することができません。
もちろん、音楽を聴いたり仏典や聖書などの本を読んだり瞑想したりリラックスしたりするときには意識の広がりは感じます。私もよくあります。しかし、それはまだまだ本当の無量ではありません。一時的な無量気分です。
今までの仏教特に鎌倉仏教以降は唱え言か只管打坐という無思考型瞑想に特化してしまい自我の成り立ちを洞察することや記憶の束を懺悔してdeleteすることがなくなっています。引き寄せの法則やノンデュアリティにも全くありません。
これがないと、潜在意識にどす黒い中心を抱えたまま悟りや目覚め気分に酔ってしまい、その悟り体験がかえって自我を強固に形成してしまう最悪の結果になります。玉城 康四郎博士が座禅や念仏でどうしても消滅せず何十回も元の木阿弥になったと書いた『我塊』がそれです。
往々にして、目覚めたとか見性したとか言っている人の人格が低劣なことがあるのはこういう理由です。
 
キリスト教には懺悔があり、神道には大祓や禊ぎがあります。ホ・オポノポノも記憶をdeleteしていきます。
仏教でも平安時代は、法華懺法が広く行じられていました。これは法華三部経である仏説観普賢菩薩行法経に懺悔の法が説かれているからです。
 
ただ、今の仏教には、上座部仏教にしても大乗仏教にしても、懺悔のようなものがありません。上座部仏教はすっかり、satiを『気づき』と訳してヴィッパサナー瞑想の専門のようになっていますし、大乗仏教では懺悔文はありますが懺悔文というごく短い言葉を唱えるだけです。
 
私は、satiは、『気づき』ではなく、『理法を記憶して心に留めて繰り返し念うこと』と考えています。
 
質問の答えですが、私は、瞑想の時や読経の時、音楽を聴いたりリラックスしているときは意識が広がって無量を感じることはありますが、日常生活で難しい相手との交渉などでは、思考をフルに働かせており無量からは遠ざかります。そういう日常に巻き込まれている時間が大部分ですね。
これには、やはり、記憶の束のdeleteを進めていくことだと考えています。
 
 
 
 
たーぼー (126.199.137.251)  
これには、やはり、記憶の束のdeleteを進めていくことだと考えています。 記憶の束をdeleteしていくためには、高原さんには怒られたけど、その当時の自分の深層心理を洞察して、その思いがその現象になって現れたと瞑想していくしかないと思うんです。 それで手のひらを開いて石を見るという感じで、自分の中で納得して、心の傷を癒していくしかないのではないのでしょうか? その心の傷が矢になっていると思うんです。 どうしてこんな理不尽な出来事が起きたんだろうとか思う事ってありますよね。こんな理不尽な出来事は納得出来ないとか。その傷を癒すべきだと思います。 そうすると、その当時の自分では気づいてなかった依存心とか思いだして、その依存心が現象になって現れたんだなと納得出来て癒されるんです。 でもそうすると、あの子はもうこの世に居なくなってしまうのかなぁとか。。 結局全ては自分が作っていた心の幻影に過ぎないのかなぁと思うと、この世には自分一人しか居ないのかと思って寂しくなります。 こうやってショーシャンクさんに書いているのも、自分自身に書いている様な、まさに独り言を書いている様な寂しい気持ちになります。 ショーシャンクさんは、私の様な体を持った人間なのかなとか(笑 全ては自分が頭でイメージしているに過ぎない。 本当にあるのは、目の前のスマホに写っている文字だけであり、そこから私がイメージを膨らませているに過ぎないです。 ショーシャンクさんは、このように思う事はありませんか?
 
 
中心こそが『矢』なのです。中心を持つことが『苦』なのです。
中心のない、広々とした大海、それこそが本当の自分です。
中心を持っている限り、個である限り、どんなに多くの人に囲まれても寂しさはつきまといます。誰かに寂しさを埋めてくれることを求めれば、それが依存になって、それを失うことが恐怖になります。
そしてそれを失ったときには、一層の寂しさを感じてしまいます。
 
ゆえに、人はただひとりあらねばならないのです。
犀の角のように。
ひとりあるというのは孤立したり孤独になったりすると言うことではなく、誰にも何にも精神的に依存しないということです。
 
私は例えばこのブログで誰かにレスしているときに、その相手が幻想だとは思ったことはないです。日常生活で話すのと同じく、やはり画面の向こうに実在する人間との交流です。それは依存がないときにはじめて楽しむことができるのだと思います。日常でもネットでも依存があれば苦となり、依存がなければ楽しめます。
 
記憶の束をdeleteすることや懺悔と、悔恨、後悔とは違います。
記憶の束をdeleteするとは、記憶の束が私ではない=非我 と徹見することです。私ではないと切っていくことです。記憶喪失になるわけではなく、ただたんに私ではない、本当の私は無限の大海だと観じることです。
本来無限の大海なのに、様々な記憶の束で限定してしまったことを見極め、そのような中心が苦をもたらしていたことを洞察すること、これが懺悔です。
これが進めば進むほど、無限の大海が目の前に現れてくるのだと確信しています。
 
 
ショーシャンクさんこんばんは。 私が思うのは、ショーシャンクさんは創造主ですよね?私も創造主なんです。 そうしたら創造主と創造主がガッチンコしちゃうじゃないですか。 私の創造とショーシャンクさんの創造は違うわけでしょ? 歴史とは絶対精神の自己展開だという言葉のいまいち分からないのもそこです。 私が絶対精神であり、私の自己史の自己展開というなら分かるんです。 でもショーシャンクさんと私の自己史は違うわけでしょ? 学歴も生い立ちも経験も仕事も性格も全部違うわけでしょう? つまり歴史とは私だけではなくて、人類史なわけです。 なんで人類史がこの歴史なのか分からないんです。 何故その時に日本軍は真珠湾を攻撃したのか? 何故世界史はこの歴史なのか?
 
たーぼーさん、こんばんは。
創造主というのは、『私』という中心がない唯一意識のことを言います。中心があるうちは、唯一意識=無限の大海 ではなく、次々に迷妄が作り出されます。中心があれば他の中心とぶつかり合います。それが私たちが経験しているこの世で起っていることです。人と人は争い、国と国とは戦争しています。
ヘーゲルが言った『歴史は絶対精神の自己展開』というのは、そのような迷妄が蔓延りひとりの人が支配し他は全部奴隷状態で自由は全く無いというような状態は歴史上ありましたが、その基盤は絶対精神=唯一意識 であり、絶対精神の本質である自由に向かって流れていく、絶対精神が自己展開していく過程だということです。
ですから、歴史は明らかに自由な方向に向かっているのです。明らかに叡智の方向に向かっています。
もちろん、どんどん悪い世の中に向かっていると思い込んでいる人たちはいっぱいいます。ほとんどのメディアはその論調です。しかし、世界史を見れば、明らかに自由に向かっていっています。100年前、500年前、1000年前、2000年前と今を比べてみてください。
確実に、絶対精神の本質である自由に向かって流れています。部分的に逆流していると見えるところがあったとしても、川全体の大きな流れは海に向かって流れています。
日本では特にネガティブに見る人が多く、凶悪犯罪も年々増え続けていると思い込んでいる人もいますが、凶悪犯罪、そしてすべての犯罪件数はどんどん減っているのです。
日本でも、宗教例えばキリスト教を信じていたら死罪になったときがありましたが、いまは何を信じていようがそれで死罪になることはありません。その当時の先進国トップのイギリスでも、同性愛というだけで牢獄に入れられたりすることがありましたが、いまはそういうことはありません。
 
質問の答えですが、もちろん個々、学歴や職歴などの経歴も経験も性格も違います。そのような経歴を記憶の束として自分だと思い込んでいます。しかし、仏陀の教説では、そのようなものは『私ではない』のです。私もまだまだdeleteし尽くしていないのですが、方向性としては無限の大海に向かっていると確信できています。
 

欲望と執着

たーぼー (126.245.53.6)  

ショーシャンクさんこんばんは。
いやーショーシャンクさんの投稿はいつも元気が出ます。ありがとうございます。
ところで一つ以前から聞きたい事があったんですが、ちょっと失礼かなと思って聞けなかったのですが、株で儲けて会社の借金を返済するとか、それ以上に欲望を持つことをショーシャンクさんは肯定されていますよね? 最近仏陀のスッタニパータを読んでいるんですが、禅だけではなく、仏陀も欲望を諌めることをしつこく説いています。私は別に非難するつもりではなくて、別に犯罪ではないですし、株で儲けても全然問題ないと思ってますが、ちょっとショーシャンクさんの中でどういう風に正当化されているのかと思いまして。 最近私もこの世は夢みたいなもんだから、どうせ見るならいい夢みたいなと思い始めていて、あぁショーシャンクさんの様な生き方がいいなぁと思ってます。 だからショーシャンクさんが仏教の欲望否定的なストイックな部分と、世俗での生き方の内部でどうバランスをとっているのか興味あります。
 
 
たーぼーさん、おはようございます。
 
欲望は欠乏感から生じます。
執着は、精神が一点に固定化してしまうことです。
どちらも、無量から離れたことが原因で生じます。
 
精神が無量であれば、無量が現象に現れてくるのです。無量が現象に現れてこないうちはその人の精神は無量にはなっていないのです。
 
ほとんどすべての人は、欠乏感からその欠乏したものを喉の渇いた旅人が水を求めるように渇望します。これが欲望です。
ですから、人は『限定品』と煽られれば欲しくなってしまうのです。
同じものでも、在庫が腐るほど有ったときには欲しくもなかったものが、行列ができて残りわずかとなったときには欲しくなるものです。
それは欠乏感から来ています。
 
欲望を持つ人は貧乏なままです。欠乏感ばかりを出しているから。
無量の富を引き寄せる人は、欠乏感を持たず欲望を持たず無量感を持ち『夢』を持ちます。
『夢』は欠乏感から生じるものではなく、画家が白いキャンバスに思い通りの絵を描くようなものです。
それは解放であり、『遊び』です。そこに欠乏感は存在しません。楽しんで創造していく感じです。
 
お金や富は自由の象徴です。お金は時間的空間的な自由を与えてくれます。
この世をよくするパワーにもなります。
 
祇園精舎が寄進されたためにサンガは発展できました。雨安居に修行に専念できるようになりました。今残っている仏典には祇園精舎で説かれたものが非常に多いです。
祇園精舎は、給孤独長者が祇陀太子の園林を金貨を敷き詰めて買って仏陀に寄進したものです。
無量の富があったから、給孤独長者は身寄りのない人たちに施すことができましたし、仏陀祇園精舎を寄進することができたのです。
お金はあればあるほどいいのです。
 
しかし、持つことによって、それを執着としてしまえば、途端に無量の状態から転落し精神は一点に固定化され限定されたものとなります。急にお金ができた人が傲慢になり驕ってしまって転落の人生になってしまうのはそのせいです。
 
私は今死んでも、財産が何億あろうと『惜しい』とも『もっと使っておけばよかった』とも思いません。お金は生きている間だけ自由をもたらしてくれるものだと考えていますし、それへの執着はありません。
 
私はまだ精神が無量になっていないので、富も無量ではありません。無量に近づけば、給孤独長者のような生き方が理想です。
 
 仏陀が執着を捨てろというのは、執着が無量から離れさせ苦の集積へと向かわせるからです。
そして、仏陀が言っているように、欲望は実に甘美であり人を溺れさせるものです。特に欠乏感を伴うと欲望は何十倍にもなります。
 
芥川龍之介の『芋粥』は知っていますか。ある貧乏な人が芋粥が大好きで、しかし芋粥は高価なものなのでなかなか食べることができない、一度でいいから芋粥を腹一杯食べたいと強烈な欲望を抱きます。それを聞いた裕福な人が芋粥を有り余るほど用意して食べさせようとするのですが、そのときになるとなぜか全く芋粥が欲しくなくなったと言う筋です。
 
これこそが欲望のメカニズムです。欲望の大部分を占めるのは欠乏感です。
ありあまるものには欲望は起きないのです。
 
欠乏感を除去し、無量感を抱くようになれば、人間を苦に追いやる欲望や執着はなくなり、あっても生存に必要なものだけに整えられていきます。
食べ物の好き嫌いも全くなくなっていきます。身体の健康維持に必要なものだけを取るようになります。
 
今までの仏教や宗教で間違っていたのは、欲望は悪いと教えられてきて、欲望をなくそうとしたからです。欲望は抑圧したり制限したり減らそうと努力したりすると、逆に何十倍にも膨らんできます。
欠乏感が膨張するからです。